『ドルアーガの塔 〜the Aegis of URUK〜』

 『RD』のあと、そのまままたアニメが始まったので驚く。『秘密』とかいうタイトルで、これも第一話で「脳と旅する男」。なんかこっちの方が「潜脳調査室」っぽいって感じだ。そして、こっちの方が『女王天使』(別に『女王天使』がこういうジャンルの大作とかそういうわけでなく、自分の知識の中ですぐに思い浮かぶのこれ、というだけです)だな、とか。
 が、しかし、この、どこかしらレディコミっぽい絵柄のアニメは観ずに、TOKYO MXに流れてみた。なにせ、せっかく見られるようになったのだから、ということ。それで、『ドルアーガの塔』。オープニングをちょっと見て、なんか今現実が描かれているものだから、ネトゲー舞台の何かかと思ったが、ドルアーガ、だった。
 俺は1979年生まれで、おおよそファミコンからはじまるゲーム文化とともに齢を重ねてきたという自負はある(ゲーオタというにはほど遠いし、現時点での次世代ゲーム機にはついていってないし、オンラインゲームとかさっぱりだけど)。ただ、それ以前のゲーセンで培われてきたもの、あるいは、小学校低学年には厳しめのゲームとなると、ちょっとわからないところがあって、マリオ→ドラクエの王道は歩んできたが、ドルアーガとかハイドライドスペシャルとか、あるいはゼビウスといわれると、ちょっと自分の世界には入っていないところがある。少し上の世代のストライクだろうか。
 まあ、世代と言うよりも、その時に俺がどんなファミカセを持っていたか、というところでザックリ区画されるものなのだろうけど。小学生、そんなに自由にソフトは買ってもらえない。中古市場も狭かったし、ファミコンソフトを一本買う(買ってもらう)というのは、相当に大きな決断だったように、思う。そうすると、やはり一本買えば一本と添い遂げるくらいの覚悟が必要であって、また、外れを引くわけにもいかず、相当に保守的な子供であったと思う。知らないソフトより、今年のファミスタだろう、みたいな。……つーか、ソフトの買え無さっぷりも、保守っぷりも、今の俺そのものだな。やっぱ、性格かな。でも、たとえば、クソゲーって言葉がその当時どうだったか覚えていないけど、他に誰も持っていないマイナーで、さして面白くないゲームを一人で極めてるやつとかいたように思う。
 というわけで、「ドルアーガ」シリーズは本当に名前くらい。それで、アニメ、アニメの話だった、何だろうこれはという感じはあった。ただ、オープニングで今現実っぽさがあったので、まあ夢ネタだろうと思った。でも、ぜんぜん予備知識無く見ていて、とりあえずそうと確認したいという妙なモヤモヤのまま見ていたら、結局最後の最後までというところで面食らう。すると、たとえばこの回の他のキャラとかは、一回分の使い捨てなのだろうかどうか、ただ、話内現実に戻ったところでも同じ人達出てたっぽいが、ただ、エンディングとかだと違うキャラよね。まあ、ええか。
 それで内容はというと、ひたすらお約束や定番ネタをパロディにしていて、あえてベタを見せてるところなのだろうけれど、三十分まるまる見るのは多少こっちの気持ちもベタベタしてきて、後からちょっと調べるにこれは裏表あるような仕掛けらしいのだけれど、とりわけドルアーガに興味もないところもあって、まあいずれにせよこの時間の何かをどうにかするのは無理、と思った。

 ……なんでイクラ丼なのか面食らったが、これも何か当時のものがあるらしい。俺よりちょっと上の世代のことだろう。