四川大地震

【綿陽(中国四川省)鈴木玲子】中国国営の新華社通信によると、四川大地震で被害を受けた地域は、四川省だけで九州、四国、山口県の合計面積とほぼ同じ約6万5000平方キロに及び、被災者は1000万人を超えることが15日、わかった。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080515-00000034-mai-cn

■今さらながらといってはなんだけれども、四川大地震
■「成都」や「綿竹」などと聞いてまず思い出すのは三国志。蜀のころと今とはあまりに時代が違うけれども、そこまで地形が変わっているということもないだろう。救援を行うにも難しそうだ。
■さらに想像がつかないのが、人間の数、都市の規模。ちらっと地震学者の解説をテレビで聞いたところによると、山の斜面などにも延々と居住区などが広がっているというようなことも。巨大なスプロール化が起きているのだろうか?
独裁政権による国民投票(のようなもの)の矢先に起きたミャンマーのサイクロン。そして、オリンピック開催、チベット問題と注目が集まる中での大地震。これが中世やそれ以前などであれば、政と結びつけられて、国体がひっくり返るような事変につながったのかもしれない。かつては政―自然、そしてさらに宗教、政治―自然―神が密接だったりしたのだろうか。ただ、今これを「天罰」などと言うのはまともな感性と見なしがたいところもあって、どこかで自然が神と切れて科学の領域、意味を持たぬ自然現象になったのかもしれない。ここは単に思いついただけでまったくわからない。
■とはいえ、災害の因を政治に求めなくなろうとも、災害の果が政治と無縁ということではない。為政者の対処が問われるのは古来不変だろう。その点でミャンマーにはクエスチョンマークがつくし、さらに中国も似たような姿勢を示していて残念(先ほど受け入れを表明したよう)。場所が場所だけに、などと勘ぐってしまう。
■もちろん、「単に受け入れ体制が整っていない」という部分もあろう。阪神淡路大震災のさいに、別に日本が他国のスパイを警戒しただとか、そんな理由で救助犬の協力を断ったりしたわけではないだろう。あと、時の首相、あるいは知事が自衛隊嫌いってのはわかりやすいストーリーだけど、実際のところ立法や縦割り行政の構造、そこらへんが大きいんじゃねえかと思うのだけれど、しっかり勉強したわけでないので言い切れない。
■さらに思うのは、受け入れ体制もくそもなく、ともかくなんか行っちゃえば、あんだけ広い国土、そこらの目についたところから助けていくだけでも、その分救われる人がいるんじゃねえのって、青臭いというか、ピュアな思いもするのだけれど。ともかく犬に探らせて、掘り返して、それがたとえ能率的でなくとも、みたいな。渋滞が起きたりとか、そういうのはないんじゃないの、とか。完全にこれは想像で言ってるだけなのだけれど。
■がれきの下で生死の境にいる人たちの、そして死んでしまった人の絶望の総量を思うと、暗澹たる気持ちになる。
■とはいえ、その当人にとっては、その状況が世界の全てだ。総量で計れるものではないし、誰かの生存とバーターになるものでもない。だからこそ世界は救われねばならない、はずだ。
■しかし、しかし、やはり海の向こうのさらに陸の遠くのできごとであるというのも確か。俺はかつて“俺が被災したとき、もしも遠い空の向こうのボンクラが「学校休みにならねえかな」と思っても、俺はいっさい文句は言わない。世の中そういうものじゃなくて?”などと書いた。まさにその距離があることは認めなくてはいけない。その距離、壁は本来覆い隠して、ただ祈りや同情のみを表すのが人の道かもしらん。しかし、どうしても片手落ちだという気がするとき、実際の俺はそこまで実感できていないというとき、我が身のことと思うほどではないという後ろめたさがあるとき、やはり俺は嘘がつけない。言葉を引きずっているのか、言葉に引きずられているのか。そして、俺が実際に被災したとき、あるいは被災を経たのち、同じことが言えるかどうかもわからない。
■ただ、他人事であるという距離を認めた上で、救援は行われるべきであるし、たとえば日本政府が援助を行うことについては賛成の手を挙げる。それも確か。
■いや、他人事でない部分もある。この揺れやすい国土、大震災が襲うのは一秒後かもしれないし、二秒後かもしれない。ひょっとしたら三秒後という可能性だってあるのだ。
■その点で、俺はティム・オブライエンの『ニュークリア・エイジ (文春文庫)』の親父と似た強迫観念を持っている。地震は実在する。お前ら、よく正気でいられるな。俺、正気でいられるか怪しいぞ! ……という、その正気でない思いはどっかしら常に、膜のようにまとわりついていて、ときおり出ては止まらない。これは実感だ。災害への恐怖、終末願望、終わりなき何とかからの逃走、その他いろいろ。でも、ほら、この一秒、次の一秒、また一秒……。