たけくまメモが雷句問題について述べたこと

 やっぱり「漫画の世界」ってもんに興味を持つきっかけになったのは、『サルまん』だよなあ。たぶん、小学校高学年のころに読んだんじゃないだろうか。もちろん、自分で買ったわけじゃあなくて、親父が「おもしろいぞ」って勧めてきたんだった。親父も昔はそれなりに知られた出版社の編集者だとか編集長だったものだから、こういう業界ものとかはよく勧めてきたんだった。ああ、そうだった、このたけくまメモでちょっと前に紹介されていた、『ハリスの旋風』の「石田国松かべ新聞」、これだよこれ。

 たぶん小学校の三年か四年くらい、夏休みの自由研究だかなんだかの宿題。どうしようかと思っていると、「これを読め」と古い『ハリスの旋風』の単行本。新聞のページを見せて、「こういうものをやれば面白い」と。それでたしか、ちょっと大きめの紙に、新聞そっくりのレイアウトで壁新聞作ったんじゃなかったかな。漫画も描いたかな。でも、結局それがきっかけでその後どうなったということはないのだな、俺は。あと、『ハリスの旋風』は最高に面白かった。それで、当時コロコロコミックで連載していた『あまいぞ!男吾』は「ハリスのパクリじゃん!」とか思っていたもの。もっとも、後に「サルまん」を読んで、番長漫画のフォーマットみてえなもんだと気づいたんだったっけな。
 ああ、そうだ、雷句誠vs小学館訴訟問題の話だった。俺がこの件について一番疑問に思った原稿料の問題なんかも、やっぱりそういう漫画界ならではの相場もあるようで。そして、「日本の出版社の感覚は江戸時代や明治時代で止まっていて、すこぶる前近代的な感覚で運営されている」とのことで、やっぱ構造に問題あるんだろうなって。小学館なら、小学館の編集者、そして漫画家の性格や個性に帰するだけのものではねえんだろうなって。
 しかしまあ、ちょっと話はずれるが漫画界だけに限った話じゃあないわな。とくに権利関係についてそう思うことがたびたびあって、今までの慣例、習慣では収まり切らなくなってきている。たとえばひこにゃんの権利だとか、映画におけるダンスの振り付けの権利だとか、ともすれば訴え出た側がゼニゲバ呼ばわりされるようなお話。まあ、それぞれのケースの正当性についてはわからないし、裁判なら裁判で判断されるものを見ていくしかないのだけれど、このあたりもかつては前もっての契約とか条件の煮詰めとかない状態ではじまって、後に権利について気づいたということ。それが竹熊健太郎が漫画界について起こっているという景気の崩壊みたいなものと関係あるのか、著作権についての意識が近年高まっているのかわからないが、ともかくなあなあの終わりとして一緒じゃないかという気がする。
 それはなにも有名な商業系だけに限った話ではなく、そこらで見られるチラシやパンフレットその他の、たとえばイラストや写真について、すべて関わってくる話。そこらに転がっている、DTP、印刷、あるいはWeb制作にまで関わってくる話がある。その権利はどこまで買い取ったものなのか、はっきりさせないとあとあと問題になる。しかし、イラストレータさんに仕事を頼むのに、「今後ずっとの使用権買い取りで」という風にはっきりさせるのも……なんとも言えずやはり慣習のなあなあでお互いやった方が楽じゃねえのって。でも、クライアントさんが全データ納品で増刷する権利もくれってなったら、はっきりさせなきゃいかんところもある。ただ、そのとき、どれだけの価格で編集著作権、諸著作権の使用権を譲るべきか……。と、まったく漫画の崩壊とか、雷句さんの話じゃなくなってんじゃん。まあ、ええことよ。