俺とカラスと死んだ祖父と弟と

 雨雲。降雨は小休止。折りたたみ自転車を漕ぐ俺、まだアパートのそば。右腕に「ビシャッ」と何かが当たった。電線から落ちてきた、雨水の大きなしずく? 違った。糞だった。朝から、カラスがやけに多いって、気づいてはいたんだ。白い服、染みてくる茶色。
 俺とカラスの仲はいいはずだ。まだ、鎌倉の実家があるころだ。俺もまだ小学生だった。庭に、一羽のカラスが住み着いた。飛べないカラスだ。怪我をしているのかどうかわからない。ぴょんぴょんと跳ねて、ガーガーと鳴く。俺は、パンのカスとか、ちぎってくれてやった。よくなついた。「ガー助」だとか「カー助」だとか、ありきたりの名前を母がつけた。俺は、名前なんかどうでもよくて、そのカラスが大好きだった。
 ただ、弟はカラスを嫌っていた。石を投げて追い払おうとした。なぜだろうか。理由はたぶん明確だ。そのころ、俺の家には、寝たきりになって、いつ死んでもおかしくない祖父がいたのだ。パーキンソン病をながく患った祖父だ。鳴き声がうるさいかもしれないし、縁起だって悪い。弟のしようとしたことは、たぶん正しい。だが、俺はどうも、なついたカラスの方がずっといいんじゃないかと思った。こいつだって、飛べなくてちょっと大変なんだぜって思った。
 いつか、カラスはふいにいなくなった。飛べるようになったのかもしれないし、ぴょんぴょん跳ねて、どこかに行ってしまったのかもしれなかった。俺は、できるだけ前者を想像することにした。「それらしいカラスを見たぞ」などと言ってくれる友だちもいた。そのころは友だちもいたのだろう。そののち、しばらく俺は、家のそばで、学校の帰り道で、どこかの街角で、カラスの姿を見るたび、その中の一羽が、あのときのあいつだと思うような、そんな気になった。そんな気になって、もう二十年くらい経つ。俺はカラスの寿命をよく知らない。
 しかし、今朝は、そんなカラスから、手痛い一撃をくらったというわけだ。飛んでいるカラスから、自転車を漕いでいる俺への一撃。相対速度、慣性の法則、腕のいい爆撃者。まったく。
 だが、考えようによっては、これはカラスから俺への贈り物かもしれない。俺がいったんアパートに引き返さずに、そのまま進んでいたら、ダンプカーか何かに衝突する運命だったのかもしれない。カラスがそのくらいのことを予知できるなんて当たり前だし、人間をコントロールするくらいお手の物だって、俺は、そう信じているんだ。俺はカラスが好きだし、カラスは俺を好きなんだよ、たぶん、きっとね。