大企業というのは大きくて、だいたいなんとなく想像つくが、中小企業というのはよくわからない。中企業や小企業も俺からは大企業に見える。零細企業というのはよく知ってる。
求人もなんにも出してない零細企業に、年に三、四件だか、「求人募集していませんか」という問い合わせがあった。検索したら日記に書いてあった。この日記を書いているやつは、この日記を書くにあたってなかなかやくにたつやつだと思う。
その当時あたり、この俺の職場に就職希望の問合せがあったりもした。求人なんて出しちゃいない。ただ、なんか業務内容が魅力的に見えるらしい。それなりに学んだ新卒の人とか、そうでない人とか、メールが来たり、履歴書が来たり。そういうのは、最近ないな。いや、去年もあったかな。なんだ俺は、人がうらやむ仕事をしているのか。
しかしまあ、その数年前の俺の時給換算などすさまじいもので、もはや日本円で語れないくらいのものだった。ふざけて時給は150デニールだ、などとうそぶいていた。求職希望者など、その実態を知ったら土下座したままエビのように跳ねて逃げ帰ったにちがいない。そのころに比べたらマシだ。だけれども俺には備えがない。セーフティネットがない。もうワンアウトとられると、頼れる人間のない、高卒の、ろくな職歴のない、資格のない、対人恐怖の、非力の、三十間近という、かなりロースペックマシーンが野に放たれる。寿町に放たれる。そうなった方が、ちょっとは人様が読んでも面白い日記になるような気もするが、そうなったらパソコンなどにつなぐこともできないだろう。漫画喫茶やネットカフェは、入ったことがないから怖くて入りたくないしな(←こんな人間に就職活動など無理だろう)。では。
さて、帰るか - 関内関外日記(跡地)
俺は三十路に入って一年くらい経って、ネットカフェにも二回か三回くらい入ったことがある。寿町はまだすぐ近くにある。
それで、そういう「求人ある?」の問い合わせはここ一年、二年か、ともかくさっぱりなくなった。
あまりにミクロなことなのであまりにいい加減だが、新卒とかの若者たちの大手志向がいっそう高まり、一極集中化しているのではないか。
いや、まったくそれで正しいだろ。いまや大手だってどうなるかわからんとはいえ、「だって」とそうでない間の距離というのは圧倒的に違う。中<小<零細と高まる確率。
またこれ、負けた人間の僻みか、奴隷のなんとか自慢か知らないが、福利厚生? とかいうのもよくわからない。たとえば病気で長期(半年とか一年とか)休職というのが想像できない。
いや、「無理してでも働くべきだ」的マインドじゃなくて(上記引用中の"時給換算などすさまじいもの"というのはなんだろう、生きるためにとりあえず必死であって、まわりも必死であって、なんというのだろう、ブラック企業に、みたいなのとは違うし、それはまたいずれ)、なんというのだろう、人一人けっこうな間いなくて、それに給料を払って、それでよく会社が潰れないな、というような。こう、自転車操業の中にいる人間には、そこのところが正直、よくわからない。これはもう、是非だとかそれ以前として、それがどのようなものかわからないのだ。
たとえとして適当かどうかわからないが、目の見えない人にエメラルドグリーンとか言っても、みたいな。
そんなわけで大手の、できるだけブラック企業とか呼ばれないようなところに、若いやつは行くべきだ。
と、そんなのおすすめするの? でも、どっちにしろ、この世は生きてるだけで損してるって、そんなもんじゃないのか。だったら、少なくとも、お金が多いほうがいいだろ、間違いなく。
話は変わるけど、俺は高卒というか大学中退なのだけれども、大学から逃げた面もあるし、就職、就職活動から逃げたところも大きい。
そのころはたぶん「就活」という略語もなかったんじゃないだろうか。ただ、今ほど「就活でこんなことやらされる」というような話題は目にしなかったような気がする。ただ、俺が疎かっただけかもしれない。
●大学に入ってすぐのガイダンスだかなんだか。学部長だかが、「諸君らはこの学部は就職に不利だと思っているかもしれないが、大学の名前で入れるから安心しなさい」とか言ってた。そんなものなのか。
●通学路で前を行く就職活動中とおぼしき女性の上級生二人の会話が聞こえてきた。「アコムってなにか経済とか金融だと思って行ってみたら、消費者金融だったの」。え、サラ金も知らないの。それで企業訪問? しちゃうの? そんなものなのか。
俺がなんとなく、就職とかそういうことを考えると思い浮かぶのは、上のふたつの光景だ。これが何を意味するのかというと、深層心理的にどうかとか言われたら「はあ、そうですか」とかしかいえないけど、べつにどうということもない。というか、ほかに記憶がないのだ。
もし、俺がこんなんじゃなくて、もし、大企業とか中企業とかに勤めていたらどうなっただろう、と思わないでもない。そのくらいの収入があったら、と。とはいえ、同時にどのくらいの厳しさがあるのかなどと考えると、まったくおっくうな気持ちになる。よくわからない。ただ、ひょっとしたら、いや、考えるまい。いま、考えるべきなのは、だいたい次のtotoBIGをぶち当てて、どんなふうに死ぬまで生きるかと、ただそれだけなのだ、たぶん。