共産趣味者かく語りき

私が問題とするのは、1930年代のソ連や1950〜60年代の中国のごとく、「発達した社会主義国では階級闘争は深化する」というスターリン毛沢東のテーゼに則った作風の文言のみを取捨選択してくる心性の奥底にあるものは何か?という点です。

http://d.hatena.ne.jp/arkanal/20100802/1281257510

 自分の心性の奥底にあるものが何かといえば、そんなものは精神科医催眠療法でもかけてもらうしかないと思う(学生運動をしていた父親への屈折した愛憎です、とか)。が、件のサーカス話で自分が取捨選択した文言の元はと言えば、該当エントリにリンクを貼ってあるとおり、青空文庫宮本百合子がほぼ全てだ。なぜ青空文庫宮本百合子かといえば、ジイドの『ソヴェート旅行記』を読んだあと、それについてググったときにそれが引っかかったからだ。それを覚えていたからだ。ほかに参考になりそうな「共産趣味」的文言は思いつかなかっただけだ。
 正直言って、"1977年ソ連憲法(ブレジネフ憲法)"という名称すら知らなければ、"「発達した社会主義国では階級闘争は深化する」というスターリン毛沢東のテーゼ"が何を意味をするのか全くよくわからない。この程度の人間が共産趣味者とみなされるならば、自分のある種のテイストの上っ面をつまみ食いする能力に自信を持っていいのだろうか。

この言葉は、現実に「大躍進」を呼号する企業体の構成員として虚心坦懐に読むといくばくかの苦い味わいをもたらしはしませんでしょうか。

http://d.hatena.ne.jp/arkanal/20100802/1281257510

 して、この俺ときたら、「大躍進」すら呼号できない、自転車操業の零細企業勤めの下流高卒であって、現実ははてしなく苦い。苦いから自由を夢見る。
 だから俺はブランキに感銘を受け、バクーニンプルードンクロポトキンに夢中になる。大杉栄を読む。

 もちろん、無学ゆえに政治も経済も思想もわからん。わからんが、アナーキストたちの言葉は腹に響く。魂を打つ。ブコウスキーがそうするように、俺を叩く。
 一方で、宮本百合子の言葉はあまり響かない。マルクスはといえば、金塚貞文訳の『共産主義者宣言』くらいしか読んでいないが、まだピンとこない。だから俺はパロディにできる。
 ただ、俺がパロディにするとき、文体模写するとき、俺はそれを心底笑っていない。そうでなくては、誰かの文章をなぞったりはできない。近藤唯之の文体を真似するときも、宇能鴻一郎風に何かを書くときも、そこにリスペクトがなければ無理だ。そこになにかがあるように思うからそうする。もちろん、一方で笑いものにしている、嘲笑している。そうでないといえば嘘になる。
 ただ、そこになにかがあるんじゃないのか。たとえば、ソヴェートにも。ソ連がなんだったのかよくわからない。少し知りたいと思う。ブランキ、アナーキストの上っ面をなぞって、今、俺はソ連趣味の真っ只中にいる。ソヴィエトフェア開催中。ソ連ができたのはいつごろか? よく知らないが、興味の矛先がようやくそこまで来た。俺にとってソ連は新鮮だし、ロシア的倒置法も新鮮だ。俺はポストモダンも知らなければ、モダンすら知らない。
 ここのところの週末に買った本は『イワン・デニーソヴィチの一日』(ソルジェニーツィン)と『世界の歴史22 ロシアの革命』(松田道雄)と『モスクワ特派員報告-ニュースの裏側-』(今井博)と『ポストモダン共産主義』(スラヴォイ・ジジェク)と『素晴らしい日本野球』(小林信彦)と『凍月』(グレッグ・ベア)だ。それと、買って読まずに人に貸していた『虐殺器官』(伊藤計劃)と『ゼロ年代SF傑作選』が返ってきたところだ。後半のSFは端折ってもいいんじゃねえの? いずれもちょっとだけ読んで読みさしだ。だいたい今週は『けいおん!!』と『ストライクウィッチーズ2』がすばらしくて、本を読んでいる暇はない。
 しかし、SFか。異世界語の世界。ユートピアディストピアは表裏一体。いや、ユートピアすなわちディストピアといえるくらいに、もう希望のようなものは見えない。だが、この鬱陶しい非異世界の毎日。俺が見たいのは実は素敵な世界だ。
 俺が夢想する実は素敵な世界は、「僕らは今の音頭取りだけが嫌いなのじゃない。今のその犬だけがいやなのじゃない。音頭取りそのもの、犬そのものがいやなんだ。そして、一切そんなものはなしに、みんなが勝手に躍って行きたいんだ。そしてみんなのその勝手が、ひとりでに、うまく調和するようになりたいんだ」という大杉栄の世界だ。鈴木大拙の言う主観的自然法爾の世界だ。
 それで、俺が投票行動自体にうんざりしながら比例区に「日本共産党」と書くのは、いつだったか不破、いや、志位和夫がテレビでえらくロマンチックなことを言って、「私たちはロマンチストなんです」とかはにかんでんるの見てからだ。共産主義も、やがては無政府の夢を見ているのだろうと思うからだ。しかし、比例区では千葉景子ではない方の民主党候補に入れた。俺はまったくもって分裂しているし、錯乱している。
 俺はまったくもって分裂しているし、錯乱している。頭ではわかっているつもりのことと、自分の生活を維持するためのなにかが乖離している。たとえば、妊娠出産したい人ができるだけそうできる自由があればいいと思うが、零細企業の人間としての自分は、妊娠出産で一時的にでも抜けてしまうと仕事が回らなくなる(=倒産する)想像が先走る。というか、この自分の生活水準を守るためならば、職を求めたいだれかが自分より優秀で働く必要があるとしてもそれを足蹴にしたいし、まだ見ぬ新しい命などよりも、自分と身内の生活が重要だ。
 無論、ゾンビなのはわかっとる。お前に言われんでもわかっとる。自転車操業の零細企業なんかは、右からも左からも上からも下からもぶっ叩かれて立つ瀬がない。そして、おまえらの言うことが正しいのもわかっとる。労働基準法すら守れぬ奴隷労働、新しい産業、イノベーションの脚を引っ張る既得権益
 ただ、俺はゾンビだけど自意識のようなものはあるし、今のこの状況はぶっ壊れても構わないようにも思えるが、ぶっ壊したいと思えるほど最低最悪でもない。俺はまだ屋根のある家に暮らしているし、スポーツ自転車も、一眼レフデジカメもある。
 だから、ゾンビを叩くときは人殺しの顔をしろ。善人ぶったりするな。そうでなくては、殺される甲斐もない。もっとも、遠くない未来、市場競争だとかそういうものが俺を殺すのは目に見えているし、この日記の名前も「寿町日記」に変わるだろう。その日記は俺の脳内にしかないので、読みたければ寿町に会いに来てほしい。
 なんの話をしていたのか忘れた。共産趣味? 共産主義? なんだそれは、よくわからない。ただ、俺が共産趣味で書いたものの薄皮の一枚下には、共産主義や革命みたいなものへの、本気の憧憬が潜んでいるのかもしれないということだ。俺の中でソ連が存在を止めたのかどうかよくわかっていないところがあるし、そもそもまだソ連ははじまってすらいない。現代的なインテリが自明のこととしていることが、はたして自明なのかさっぱりわからないし、その上での文言は往々にして魂に響かない。俺には知識が足りないし、学も足りない。いくらかは賢くなりたいし、ますます自由になりたいが、なにを信じていいかわからないようにも思う。なにを信じていいかわからないと思う自分を信じているというふりをしているだけかもしれない。学もハートもない人間は、こうやって地を這うしかない。