右もなく左もなく中道もなく道もなく

愛国者は信用できるか (講談社現代新書)

 実は、僕は重信さんのお父さんには一度会って取材したことがある。連合赤軍事件の直後だった。「連合赤軍事件は唾棄すべきものだ」と断言していた。しかし、娘については、支持していた。「娘は愛国者です。右翼です」と言っていた。これには驚いた。今の日本を愛し、憂えるが故に闘っている。さらにアラブの人民のために闘っている。だから愛国者だと言う。でも、「右翼」というのは分からなかった。たぶん今の右翼ではなく、戦前の右翼をイメージしていたのだ。血盟団事件五・一五事件二・二六事件と続いた右翼の決起は、保守ではなく、変革だった。血盟団に参加した人々は自分のことを「革命家」と言っていた。青年将校は「革新将校」と言っていた。右翼は革命家だったのだ。そういう右翼のイメージでもって、「娘は右翼だ」と言ったのだろう。誉め言葉だ。
P.44

 鈴木邦男愛国者は信用できるか』にこのような記述。そうか、あのウィキペディアの記述の出典は、鈴木邦男のインタビューだったのか。……と、現在のwikipedia:重信房子からは削除されている。俺が見たときは、このように書かれていた。

父親(重信末夫)は鹿児島県出身であり、戦前の右翼の血盟団のメンバーであり、四元義隆とは同郷の同志である。重信は赤ん坊の頃、血盟団そして後の護国団の指導者の井上日召の膝に抱かれたことがあるといわれている。父は、雑誌のインタビューに対して「娘は立派な右翼です」と答えたといわれている。

 戦前の右翼。そこにひかれるところがある。無論、俺にしっかりした思想も知識もない。なんとなく、だ。俺はなんとなくアナーキズムにひかれるし、左翼の思想にひかれることもあるし、まあ根無しだ。

 玄洋社は日本の右翼の元になっている。「皇室を戴いて民権運動をやる」、これが玄洋社のモットーだった。この時点では、自由民権運動の一分派だった。ところが西欧に侵略されるアジアの実状を見るにつけ、強い国家づくりとアジアの連帯が必要、急務だと考え、国権運動に力を入れる。さらに大アジア主義にすすむ。条約改正に反対して、社員・来島恒喜が大隈重信外相の暗殺をはかり爆弾を投擲し、玄洋社は一躍名を知られる。また、天佑侠を組織、朝鮮の東学党の乱を支援、孫文、ビハリ・ボースなど、中国、インドの革命家たちを支援した。当時の右翼はインターナショナルだった。
P.37

 これら活動の歴史的評価などはよくわからん。よくわからんが、スケールが大きいと思う。そんな感じを受ける。「当時の右翼はインターナショナルだった」と。ただ、今の右翼とされるものには、こういうスケールを感じない。そこがあまりおもしろくない。左翼は難しすぎる。
 鈴木邦男が『腹腹時計と<狼>』で、左翼・アナーキストを取り上げた理由をこう書いている。

 ……当時の右翼のだらしなさに対する怒り、憂いがあった。戦前の右翼は国家革新運動だったし、革命だった。ところが戦後の右翼運動は、「反共」だけがすべてになって、牙を失った。体制への補完運動でしかない。そういう思いがあった。
p.63

 この本は、左翼を評価したとして、右翼から徹底的に批判されたという。ただ、その中でこの本を認め、支持したのは、野村秋介だという。野村秋介がどのようなことをして、どのようなことを述べてきたか、俺はよく知らない。まだ知らない。
 正直、右翼思想、左翼思想などといってもよくわからない。ただ、なんとなくひかれるものと、そうでないものがあって、ひかれるものを追っている。嗅覚かなにかのようなもので、自分の「考え」というのはよくわからない。情緒的なものという気もする。ただ、たまに大昔のやつの言ったことに感じ入ったりする。それが大昔の仏教の坊主だったり、フランスの革命家だったり、日本のアナーキストだったりする。それがどこかで繋がっているかどうかわからない。いや、どこかで繋がっているとしたら、俺の中で繋がっていて、じゃあそれはなんなのかということになる。これはなかなか難しいだろう。答えはでないかもしれない。だいたい、繋げるものじゃないだろう、というものもあるのかもしれない。

 学生時代、右翼学生の中には「天皇アナーキスト」「スメラギ・アナーキスト」を自称する人がいた。円の中心としての天皇は認めるが、それ以外の一切の権力・権威を否定するというのだ。そんな馬鹿な、と当時は思ったが、今考えると案外、天皇制の神髄を衝いているかもしれない。
p.120

 こんなよくわからない結合もあるらしい。だったら、禅とアナーキーがむすびついてもいいかもしれないし、なんだかよくわらないものが、ひっついているのはおもしろい。だいたいもう、そんなものはよく残らないのかもしれないし、残る必要はないのかもしれない。
 なにか過剰なものが見たい。よくわからない、大きなものであって、右翼だとか左翼とかでなしに、両翼広げてちっぽけな地球人類を見捨てて銀河の果てまで行くようななにかだ。両翼広げたら銀河の幅で、それが人間の魂の幅と同じであればいいし、どこまでも自由であればいい。右も左もないし、中道すらない、道もない。ただいちめんの自由があって、めいめい好き勝手に寝っ転がったり、走り回ったりして、そんなふうになればいいと思う。たまに、俺のそんなわけのわからないところに差しこんでくる言葉があって、俺はそれが好きなんだ。思想も小説もみんな一緒だ。狂ってる。ただそれだけだ。

 人間生活の終末は、すべての人工組織から開放せられて、自らの組織の中に起居する時節でなくてはならぬ。つまりは、客観的制約からぬけ出て、主観的自然法爾の世界に入るときが、人間存在の終末である。それはいつ来るかわからぬ。来ても来なくてもよい。ひたすらその方面へ進むだけでたくさんだ。
 それまでは人為的組織は、それを作り上げるまでのさまざまの条件の転化するにつれて、転化するにまかせておく。さまざまの条件とは、自然界環境と、組織構成員の知的・情的・意的進転である。(この内外の条件は最も広い意義においていうのである。)これらの条件はいつも移り変わりつつあるので、それを大にして、人間が考え出し作り始めた社会組織なるものは、けっして永続性を持たぬ。また一場所・一時代における構成が、そのまま、いつまでも、どこへ行っても、完全であるとは、夢にも想像できぬ。それゆえ、いつも不定性・移動性・局部性を持ったものと、考えておかなくてはならぬ。
 自然の環境の人工によって変更を加うべき範囲は、知れたものである。ただ、いつも変わらぬと見るべきもの、否、しかと見定めなくてはならぬものは、われら内面の自由な創造力である。これを内面というのは、前にもいったごとく、すこぶる物足らぬいい現しではある。が、今はこれを詳しく論ずるひまがない。いずれにしても、われら人間の内面性の極限にあるものは、万古不変だ。これは、人間社会組織のほんとうの根源だから、何をやるにしても、考えるにしても、われらはここに最後の考慮を据えつけておかなくてはならぬ。
 鈴木大拙「現代世界と禅の精神」


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