- 作者: H.M.エンツェンスベルガー,野村修
- 出版社/メーカー: 晶文社
- 発売日: 1983/03
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「絶対を夢みる人びと」第一部 論文と爆弾
100年ほどまえ、1862年4月のある朝に、ペテルスブルクの市民たちは、ひそかにまきちらされ、一夜のうちに公共建築物の壁という壁に貼り出されたビラの上に、つぎのことばを読んだ。
「若きロシアへ!
われわれの上に君臨する者らの罪によって、われわれの国は恐るべき状態におちいった。ここから脱する道は、もはやひとつしかない。それは血みどろの、無慈悲な革命、こんにちの社会秩序のあらゆる基礎をひとつ残らず、ラジカルに打ちこわし、支配体制に依拠する者らを根こそぎにする革命である。おびただしい血が流れねばならないことをわれわれは知っているが、われわれはたじろぎはしない……
この章は、こんな文章で始まる。ヨーロッパ旧秩序に対する最後の戦い、近代レジスタンスの最初の偉大な行動。まだノーベルがようやくダイナマイトを発明したころのこと。この宣戦布告の対象は全ロシア人の独裁君主。では、布告したのは誰か? 「中央革命委員会」。ひとにぎりの学生と士官。バックにどんな組織もなく、権力手段も、経験もなかった……。
- 作者: 松田道雄
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 1990/04/01
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世界の名著〈第42〉プルードン,バクーニン,クロポトキン (1967年)
- 作者: プルードン,バクーニン,クロポトキン,猪木 正道,勝田 吉太郎
- 出版社/メーカー: 中央公論社
- 発売日: 1967
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でも、歴史のことはいいんだ。いや、よくないが、ロシア革命なんてものは、もうそれこそ巨大すぎていろいろ複雑でさくっといけるもんじゃないだろう。エンツェンスベルガーは的を絞る。19世紀ロシアの政治史、社会史、経済史の総体ぜんぶを述べるのは無理だ、と。
しかしそのことには、ここでは立ち入るまい。ここでは別の歴史をものがたろう。――文字通り首を断頭台にのせた少数の絶望的な人びと、数十、数百、数千の人びとの歴史を。この歴史は、社会学的な範疇やマルクス主義的な分析では、汲みつくせるものではない。ここで扱われるのは、階級闘争や生産関係ではなくて、夢みたり狂信したりする人びと、死物狂いだったり、涙もろかったりする人びと、いかさま師や気ちがいたち、布教者や自殺者たち――世界がその後は二度と見たことがないほどの、血にまみれた聖者たちなのだ。
そういや、おれ、こないだドストエフスキーとかいう人の野球小説を読んだ(ドストエフスキーの『悪霊』で打順組んでみた。 - 関内関外日記(跡地))けど、なんかそんな話のような気もしてくる。まあともかく、当時のロシアには、西欧がわりと長い時間かけて生み出してきた思想が、ドバドバドバっと入ってきて、それをすごい速度で吸収しようとした。サン=シモンにフーリエ、オーウェン、プルードン、ダーウィン、そして、マルクス。そんななか若いロシアの、歴史の主人公たちはさんざんに口論を重ねる。
ふりかえってみるとき、革命の発端ほど無害に見えるものは、何一つない。発端はいつでも目立たない平穏なもの、ときには感傷的なものなのだ。ロシアの叛逆者たちの最初のいくつかの行動も、そういうものだった。かれらは日曜学校を創立した。かれらは蛙を解剖した。かれらはフランス語の本を読んだ。かれらは共同図書館を開設した。かれらはヘーゲルの「論理学」を韻文に移した。かれらは新しい小説に夢中になった。かれらは書評を書いた。かれらは病気の学生のための金庫をつくった。かれらはカネを融通しあったり、協力して昼食をまかなったりした。かれらはチェスをした。
そして、それを皇帝はおそれ、なんの具体的な政治行動も革命の準備をしていないような、単なる論争集会を陰謀家の密会としてしょっぴき、ドストエフスキーとかいう人もシベリア送りになったりしている。
そんな中で、平和的な反抗など夢物語にすぎない。無害きわまるものでさえ、暴力犯なみに扱われる。
ある意味でツァーの政府のこそが、みずからの敵を培養し、育成したといえる。ロシアの最初の有効な秘密結社は皇帝官房第三部であって、これが若いロシアの無慈悲な教師となったのだ。これこそが若いロシアにとって、陰謀的技術の手本となり、非合法的方法の実例となったのである。
ロシアの最初の有効な秘密結社は皇帝官房第三部であって、これが若いロシアの無慈悲な教師となったのだ。……なんというか、歴史の皮肉だか悲劇だか。
そして、バクーニンとネチャーエフの「革命家の教義問答」があり、たくさんの内ゲバがあり、ヴ・ナロードがあり、たくさんのテロがあった。ああ、wikipedia:ヴェーラ・フィグネルの名前もある。wikipedia:ヴェーラ・ザスーリチの狙撃事件の話も紹介されている。そういえば、女性革命家を集めた本みたいのがあったっけ。今度読もう。まあいい、彼女の狙撃が号令となり、そしてまた、ナロードニキに失敗したインテリたちが都会に戻り、反抗の新しい細胞を作りはじめる。そして、狙いは政府機関の上へ上へ行き、「ヤマザキ、アレクサンドル2世を撃て!」というところまでいく。組織も名前ばかりの「中央委員会」でなく、プロの組織になっていった。「人民の意志」執行委員会。
きびしく中央集権的な編成、中央委員会への外部細胞の従属、厳格な規律、集団指導、たまねぎの皮の原則にしたがった組織形態、近代的・技術的な手段の展開、分業と専門化、危険のシステマティックな分散、長期的な計画。
そして、こういう結論にも達する。
ついに委員会は、アジテーションとテロルが、論文と爆弾が、同じことがらのふたつの面にすぎないことを認めた。ある意味では委員会は公然と活動した。つまり、あらゆるテロル行為を公然と予告して、暗殺計画のひとつひとつを、同時に、広汎な効力を持つプロパガンダとしたのである。
『赤P』でも「プロパガンダの最良の形態は武装闘争である!」とか言ってたな、たぶん。
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しかし、ただ一度だけアレクサンドル3世への暗殺計画が試みられた。それを仕組んだ五人の学生のなかにアレクサンドル・イリッチ・ウリヤノフという男がおり、その男の弟の名はウラジミール・イリッチといった。のちのレーニンである。
……とか、おれがいまさらなんかまとめても意味ねーじゃん。でも、書くと覚えるし、おれのためにやってんだ。
「絶対を夢みる人びと」第ニ部 テロルの美しいたましいたち
……とか言いつつ、面倒なのでかいつまむ。というか、もうこの「テロルの美しいたましいたち」あたりの感傷性、一方で、皇帝官房第三部からオフラーナ、それがGPU、NKWDに通じていると言うあたりで、なんというか、エンツェンスベルガーの基本ラインみたいなもんも……いまのおれにはなんとなくわかるよ。下のは『がんこなハマーシュタイン』で共産主義の政党が党員を罰するための偏向を書き連ね、こんなんなかでイデオロギーの疑いをかけられない人間なんていねえよ、ってやったもんだけど、まあそういうことだ。ようわからんが……反スターリン主義? そもそもスターリン主義が厳密にどんなん指すのかわからんが……。でもって、そう、「たましい」はどこにあるかといえば、暗殺の対象であるセルゲイ大公のそばに、ふたりの子供の姿を見たために、爆弾を投げられなかったカリャーエフと、それを認める同志たちの話にあり、相手を殺すときは自分の命を差し出すという覚悟にある。しかし、その後はどうだろう? アルベール・カミュはこんなことを書いてたらしい。
「両者は類をことにする。一方は、いちど殺せば、自分の生命でそれをあがなう。他方は、無数の犯罪を正当化し、それによって名誉を受けるのを当然と考える」
このあたり、埴谷雄高が「革命家は革命家たるために革命が到来すれば直ちに死んでしまわねばならない。これは比喩的に解釈されようと、実際的に解釈されようと構わない」(やつは敵である。敵を殺せ。〜『埴谷雄高政治論集』を読む〜 - 関内関外日記(跡地))とか言ってたりすんのとね、同じようなものかもしれないね。あ、なに、カミュはカリャーエフ題材に「正義の人びと」って戯曲かいてんの? おれももの知らんわ。
ところで、その革命詩人カリャーエフは結局セルゲイ大公暗殺を実行するんだけど、wikipedia:ボリス・サヴィンコフはその直前に会ったときの会話を残している。
……しかし、もしぼくらが失敗したら…… どうなる? ぼくの考えでは、そうなったらぼくらは日本的にやる必要がある……』――『なんだい、日本的というのは?』――『日本人は、戦争で降伏しなかった』――『そして?』――『ハラキリをした』
これが、セルゲイ大公暗殺を前にしたかリャーエフの気分だった。
って、話はそれるけど、日本人どんなんよ? ってのは、ここんところ読んだアウシュヴィッツ強制収容所所長の方のルドルフ・ヘスの手記(アウシュヴィッツ収容所長から学ぶ5つの人心把握術〜地獄への道は、やる気で舗装されている〜 - 関内関外日記(跡地))でも「SSの教育で降伏しない日本人の精神を教えこまれた」みてえなこと書いてあったし、もろドイツのカミカゼの本(特攻隊やったの日本だけじゃなかったのね〜『ヒトラーの特攻隊』を読む〜 - 関内関外日記(跡地))でも「それはゲルマン的ではない」とか国家元帥に言われてたり、まあなんでもいいけど、この、「降伏しない」で「腹を切る」? というのの、西洋に与えた影響っつーのは、なんか日本人が「日本はゲイシャとサムライとニンジャとハラキリって思われてるんだろ?」とか軽く言っちゃうほど軽くないのか、スモウレスラーくらい重いのかみたいな、そんな気にもなる。
で、ついでにいうと、敷島隊なんかよりずっと先に(一応は生還前提の)体当たり攻撃タラーンをやってた赤軍とか、松田道雄が「どの国にもアナーキズムは、テロリストを輩出させる時代を経験した。しかし「仇討」という形のテロは、日本とロシアとに特徴的である」で書いたあたりとか、なんかこう、どっかロシア人と日本人近いところがある? そりゃ国土のありようも気候風土も違うけど、なんだろうね、どっかその、西欧との距離感? はずっと向こうが近いにせよ云々、などと。それじゃあ、共産主義国日本があったら、どんなふうだったろうかとか、まあちょっと想像がつかんが……。
まあともかく、本書の方は、話がwikipedia:エヴノ・アゼフの話になっていく。ウィキペディアから引用する(もう打つのにつかれてきたから)。
社会革命同盟の代表であったセリュークとともに、エスエル(社会革命党)を結成する。さらにアゼフは1903年エスエル党首ゲルシューニが逮捕された後、ボリス・サヴィンコフと共に要人暗殺組織「社会革命党戦闘団」を結成し、戦闘団の指導者、党中央委員となる。実際の戦闘団の指導はサヴィンコフが行い、サヴィンコフ指揮の下に1904年内務大臣ヴャチェスラフ・プレーヴェと皇帝ニコライ2世の叔父でモスクワ総督のセルゲイ大公の暗殺に成功する。さらに内相ドルノヴォ、ミルヌ将軍等の暗殺を手がけるなど、帝政ロシア秘密警察のスパイでありながら社会革命党のテロリストとしてロシア革命で最も革命的とまで評されるまでになった。
wikipedia:エヴノ・アゼフ
もはや、なにがなんだかわからんくらいのダブル・スパイ。本書ではもっと多くの人名が挙がっている。なかには直属の上司、つまりはオフラーナの政治部長までいる。プレーヴェは最高の上司にあたる。『インファナル・アフェア』もびっくりだ。
ひょっとするとアゼフは、そのなかでは秘密警察自体が革命のひとつの執行機関として登場するような、極限的な数式を、ここにえがいてさえいたかもしれない。陰謀団とその敵手たる警察とが共謀者とも見えるような見地も、考えて考えられないことはないのだ。そう考えることは幻想的だろうか。
このアゼフについては、いろいろと本もあるようだから読んでみたい。そしてまた、ロシアの秘密警察の歴史のようななにかも。
「1917年のロシア革命の伝統は」とハンナ・アーレントはいっている、「ある程度までロシア秘密警察の所産である」 じじつアゼフの、一種の陰惨な弁証法によって歪められた、謎めいた仕事は、ツァーリズムに深い傷を負わせ、革命にいささかの勝利を――奇妙に歪んだ、不可思議な勝利をもたらした。
「裏切りの理論のために」
裏切り者と思われたがる人は、誰もいない。
ここにいるぞ! ドカッ!
……というわけで、どういうわけかわからないが、最終章は裏切りについてだ。だれもが裏切り者になりたくないのに、しかし、ひとたび国家体制が変わってしまえば、だれもが裏切り者にならざるをえない。ナチス政権下のドイツと戦後ドイツでヒトラーについて同じ事を言っても、その意味は大きく違う。祖国を侵略したナチと戦った英雄も、国家体制が変われば政治犯だ(宮崎駿も絶賛 映画『ダーク・ブルー』をみる - 関内関外日記(跡地))。まあともかく、この章では裏切りのタブーについての考察なんだけど、まあこころがアゼフの方に行ってるし、ちょっとむつかしいからこんなところで。