安保について考えようにも〜『ANPO』/監督リンダ・ホーグランド〜


 若葉町のシネマ・ジャック&ベティにて。関内駅の方から歩くことテクテクしばらく、『キャタピラー』に続いて二度目になる。客の入りはスカスカ。入れ替えの『アルゼンチンタンゴ』には行列。『キャタピラー』はかなりの混みようだったが。

今から半世紀前の60年安保当時、熱かった日本をアーティストがどのように表現したのか。
1960年6月に日米安全保障条約岸信介政権下で自動更新されるまでの一ヶ月間、
国会周辺は安保に反対する市民のデモで溢れかえりました。
1945年の敗戦からまだ15年からたっていないその時代、
学生、労働者、主婦など様々な立場の人が参加したこの運動を一つにした最大の原因は
「二度と戦争をしたくない」という市民の強い意志だったことをアーティストたちは語っています。
(パンフレットより)

 して、このような映画である。俺はこのところ、人からどう思われているかは知らないが、極左方面に興味を持つようになっている。ほんのすこしばかりはアートにも興味がある。じゃあ、とりあえず観てみようということになる。それで、いつものようにふたまわり上の女の人と出向いたわけである。
 下の方に延々と「俺の話」が続くことになってしまったので、手短に感想を書けば、「絵画とかを劇場のスクリーンで見るのって、けっこういい」とか。むろん、現物がいいに決まってるんだけれども、この映画、音楽もよかったし。インタビューで印象にのこったのは、中村宏細江英公、そして横尾忠則。歌う加藤登紀子もかっこいい、などと。あと、作中出てきた浜田知明の絵はこないだ観たっけ、とか。まあ、それでは。

安保とわたしと父親と

 日米安保。さて、俺は1979年の生まれである。70年代生まれといっても、たかが8ヶ月くらい滞在しただけだ。その俺が日米安保についてどう教育を受けたのか。これはよく覚えていない。小学校は日教組が強く(俺はそれを嫌悪していて)、もし授業があったなら延々と話を聞かされたかもしれないが、その記憶がない。おそらく定番のパターンで、近現代まで間に合いませんでしたというパターンだろう。だいたい鎌倉市鎌倉幕府に時間をとりすぎるのだ。中学受験のための予備校では習っただろうが、習ったに過ぎない。そんなわけで、子供時分に安保といえば、「日米安全保障条約」という社会科の教科書か参考書の字面であって、「日米修好通商条約」とどっちがどっちでもかまわない、という程度のものである。
 むろん、学びの場は学校や塾ばかりでない。家庭というものもあるらしい。

学生運動連合赤軍新左翼。何となく雰囲気でしかわからん。父は吉本隆明に傾倒する早稲田の学生で、真っ盛りだったようだが、多くは口にしない。

『光の雨』/監督:高橋伴明 - 関内関外日記(跡地)

 真っ盛りの正確な時期はわからんが、どちらかといえば70年安保寄りだろう。自らのディテールは語らないが(これはおおよそ確信しているのだけれども、口にできないことがあるというより、たいした体験をしていないのだと思う。「わしは昔ガキ大将だった」系の人間なので)、幼いころよりいろいろ子供に吹きこまれたわけだ。
 たとえば、幼稚園のころの古い記憶に、世界地図のことがある。世界地図を広げて見せて、日本を指さし、「この小さいのが日本である」という。そして、太平洋をずずと渡ってアメリカを指し、「この巨大なのがアメリカである。日本は小さいながら、この国と戦争したのだ」という。同世代の中でも一番背の小さかった俺は、日本と自分を重ね合わせて考えるようになった。幼稚園の父親参加の工作教室でこの親子が作ったのは、木材を交差させて緑色に塗り、真っ赤な日の丸を入れた「ゼロ戦」だった。そのゼロ戦が叩くのは、憎き鬼畜米英のB-29である。出てこいニミッツマッカーサーだ。弟とのチャンバラごっこには、祖父の海軍短剣を使ったものだった(思い出の海軍短剣 - 関内関外日記(跡地))。
 ……と、そんな調子で育てられて、中学くらいになって軍歌CDとか聞きながら『ケンペーくん』とか読んでる俺に対し、父は「なんで左翼のワシが育てたのに、右翼になっとるんだ」などと嘆いたものである。嘆くそぶりだけだが。
 と、いや、そのあたりになにかがある。というか、漫画『レッド』で日本共産党革命左派神奈川県委員会的なものが「反米愛国」の旗を振ってるのを見て、「これか」と思ったのだ。ようわからんが、幼い日に自分に入ってきたなにかは「反米愛国」ではなかったのか、と。それで、小難しい左翼関係の話はさっぱりなかったし、そのまま育てば右翼っぽくなりもするか、というような。というか、父は左翼を自認するくせに、人権だの平和だのについてはほとんど語らなかった。どうも、共産党社会党日教組も大嫌いで、中国、朝鮮半島ソ連などについてもかなりポリティカリーにインコレクトネスな言葉遣いでいろいろの話(悪口)を聞かされたものである。それに、なんらかの政治団体とか市民団体とかにもまったく参加もしていなかっし、だいたい冷笑的な態度を取る人間だった。それで、ノンセクトなどとうそぶいて、膨大な蔵書ばかりを増やしていったわけだが。これで、どう(いわゆる?)左翼的な影響を受けろと? むしろ、そういうシニカルな態度の親を見て育つ子は、シニカルな人間になるとかいう話の証左がこの俺だ。
 ただ、確実なのはなによりも反米。それはあった。やはりそのあたり、彼が広島育ちという要素が大きいかとも思う。原爆を落とした連中を許さんというあたりだ。まあ、しかし、この現代を生きるにあたっては、アメリカ愛憎相半ばの複雑なものを抱かずにはおられないわけで、アメリカは嫌い、でもかんじちゃうびくんびくん。そういえば、最近見た『ANPO』という映画の冒頭でも……。
 ……あ、その映画の感想文だった。まあいいや、ともかく、そんな影響というか、発端というのか、なんというのか、やはり俺にもそのへんはあって、どうもアメ公連中は心底好きになれないというところもあって。なんかこう、西洋全般に対して「この毛唐が」と皮膚一枚下から吹き出てくるものがあるわけだ。まあ、だいたい俺はチビだから、でかいのは全部嫌いだ、敵だから。それで、俺はそうとうに背も心も小さいので、世の中全部が嫌いといえば嫌いなんだけれども。
 さらにいえば、だいたい俺は人間の集団というのおおよそ苦手で、なにか人を集団として見てしまうと、それがどういう単位であれ気に入らなければ全殺しにしちまえクソが、みたいなところがサクっと出てくるタイプであって、よほど個としてそれを見ないと、おおよそ想像力も働かなければ同情心もわかない。俺が俺を「ハートのない人間」というのは、そこのところを指してのことだ。もし俺がなにかいい話をしているとしたら、心のなかの宅間守濃度がたまたま低くて、調子よく人まねをしているだけなので注意してほしい。

で、どんだけの「みんな」?

 して、映画は60年安保、1960年の話だ。1960年といえばコダマが二冠達成し、牝馬スターロッチ有馬記念を制し、ハイペリオンが死んだ年だ。なんで競馬。いや、そういえば、オールカマー神戸新聞杯でひどい馬券の負け方をして(夏の散財が追いかけてきたので、逃げきるためにぶっこんでみて失敗というパターン。武豊、てめえクソが、なんでそのハナ差分の粘りを船橋でやってくれねえの? 俺をコケにしてんのか!)、ちょっと機嫌が悪いのだった。というわけで、なんか穿った見方で『ANPO』思い出すと、やっぱりなんか画面の外が気になるのだ。映されていないもの、語られていないもの。なんというか、この映画だけ虚心坦懐に見てると、いろんな階級、階層の人々が、自然に集まってきて盛り上がって……というような印象がある。

僕らは今の音頭取りだけが嫌いなのじゃない。今のその犬だけがいやなのじゃない。音頭取りそのもの、犬そのものがいやなんだ。そして、一切そんなものはなしに、みんなが勝手に躍って行きたいんだ。そしてみんなのその勝手が、ひとりでに、うまく調和するようになりたいんだ。

 俺は大杉栄のこの言葉が大好きなのだけれども、こんな感じにすら思える。あるいは、俺が妄想してやまない裸の革命だ
 しかし、本当にそうなの? と。なんかわかんねえけど、そればっかりじゃねえよな、というような。wikipedia:安保闘争にこんな文章がある。

スターリン批判を受けて共産党を脱党した急進派学生が結成した共産主義者同盟(ブント)が主導する全日本学生自治会総連合全学連)は「安保を倒すか、ブントが倒れるか」を掲げて、総力を挙げて、反安保闘争に取り組んだ。

これに乗じて既成革新勢力である社会党日本共産党は組織・支持団体を挙げて全力動員することで運動の高揚を図り、総評は国鉄労働者を中心に「安保反対」を掲げた時限ストを数波にわたり貫徹した

 むろん、Wikipediaの記述がどんなもんかわからんが、こういう組織化された動員もあるわけで。

なお、ソ連共産党中央委員会国際部副部長として、日本をアメリカの影響下から引き離すための工作に従事していたイワン・コワレンコは、自著『対日工作の回想』のなかで、ミハイル・スースロフ政治局員の指導のもと、ソ連共産党中央委員会国際部が社会党共産党、総評などの「日本の民主勢力」に、「かなり大きな援助を与えて」おり、安保闘争においてもこれらの勢力がソ連共産党中央委員会国際部とその傘下組織と密接に連絡を取り合っていたと記述している。

 また、この映画で『CIA秘録』が採り上げられていたのとちょうど対照的に、こんな話まで書いてある。
 勘違いしないでほしいが、俺はこれらによってなにか相対化みたいなことをしようというわけでも、「この映画は一方的な見方をしているプロパガンダだ」と言いたいわけでもない。この映画はこの映画であてるべきところにスポットを当てて、ズバッと歴史の一部を切り取ってみせたわけだ。

市民運動の草分けともいわれる「声なき声の会」のデモでは、「誰でも入れる声なき声の会」というプラカードを掲げて歩いたところ、最初の2人が300人にふくれあがった。学生のデモを一般の市民が応援する場面も多かった。
(パンフ収録「戦争の記憶と60年安保闘争小熊英二

 たとえば、その行列に加わった298人は動員されたものでなく「勝手に」のものだと俺は信じるし、いろいろ多くの局面でそんな盛り上がりがあったのも疑わない。また、安保条約の中身を知らずに、単に「岸憎し」で参加してたやつがいてもいいし、戦争はこりごりだと思ってるやつ、アメリカ憎しのやつ、なんでも集まってきて、それだってぜんぜんいい。映画で流れたドキュメンタリ・フィルムの中に「岸は巣鴨に帰れ」というのがあったりして、それってその、安保闘争における東京裁判の位置づけとしてどうなんだ?(←このはてなは本当にわからんという意味でのはてな)みたいなのとか、まあ、なんでもいい。むしろ、思想的に統一された動員、集団のほうが嫌な感じがする。
 しかし、それでもなんか俺は、画面の外が気になる。たとえば、一緒に映画を観た人いわく、「子供のころ、父親に学生運動をしているのは『悪いおにいちゃん』だ、と聞かされていた」という。べつにそのお父さんは右翼思想家でもない電気店店主だ。それで、運動が盛んなころ、大学生が鉄パイプはありませんかと買いに来たけど、細いパイプしか取り扱っていなかったので売れなかったなどという話(おそらく70年のほうだろう)も聞いたが、それはそうと、そういう人らもたくさんいて、そのあたり気になる。運動家や革命家、思想家、インテリ、芸術家の声は残るが、残らない声がすごいたくさんある。それは「あらゆる層」に入らないのか、みてえな。
 というか、もっとはっきりと、おそらくはすごくバカバカしい疑問を発するならば(「新書一冊読んでから言え」という類の)、「あらゆる層の人々」が参加して、それだけの熱気があったもんが、なんで一気にしぼんだの? というか、その後も自民党政権が長々と続いたの? と。またWikipediaを頼ると、こんなことが書いてある(Wikipediaを頼らなくても、パンフにも同じようなことが書いてあって引用できる。でも、ほら、打つの面倒くさいじゃん)。

「60年安保闘争」は空前の盛り上がりを見せたが、戦前の東條内閣の閣僚でありA級戦犯容疑者にもなった岸とその政治手法に対する反感により支えられた倒閣運動という性格が強くなり、安保改定そのものへの反対運動という性格は薄くなっていたため、岸内閣が退陣し池田勇人内閣が成立(7月19日)すると、運動は急激に退潮した。

 まあ、こんな感じで、安保のエネルギーを経済発展に、みたいな池田勇人の台詞(?)も劇中あったりと。で、経済成長へ突き進んでいった一方で、学生運動は先鋭化していき、あさま山荘事件で完全に世間から切れた、みたいな筋書きなのだろうけれども。けれども、だ。

さらに、7〜8月に行われた、青森県・埼玉県・群馬県の各知事選で社会党推薦(埼玉では公認)候補は惨敗(山崎岩男、栗原浩、神田坤六が当選)。総選挙でも自民党圧勝の雰囲気さえ出てきた。10月12日、社会党の淺沼委員長暗殺事件で再び政権は揺らぎかけたが、池田首相は動揺を鎮めることに成功。11月20日の総選挙では、社会党民社党が互いに候補を乱立させた影響もあり、自民党追加公認込みで300議席を獲得する大勝を収めた。

 なんかこう、ここまでかよ、みたいな。人々の熱や怒りをみんな岸信介が吸いとってしまったのか、池田勇人がすごかったのか、まあ俺も所得倍増したらうれしいし、とか。あるいは、安保を阻止できなかったことによる失意とかか。でも、でもよ、でもさんよ、そんでも社会党勝つくらいのことが起こらなかったの、みたいな。それとも、悪虐自民党政権によって、自由選挙が妨害されていたりしたの、というような。
 そういう、あとの事から逆算(算数するほどの知識もないが)するのがいいことかどうかわからんが、やはりそこから見てしまうと、いや、そこというよりも、その歴史を経てきた今、ここから見てしまうと、60年安保がどのくらいのなんであったか、というあたりがわからなくなる。もっと正直にいえば、「結局は一部のインテリが盛り上がってただけじゃねえの?」というような疑問。

あの、なんだ、学生運動のやつが、女に対して「自分たちの真の敵は国でも権力でもなく君らのようなブルジョアだ!」みてえにディスるんだけれども、その実、大学生なんてめぐまれた身分のやつがに比べたら、この女の方がどんだけあれなんだよって話であって、そのあたりの皮肉さを描くところが、ようわからんが、ひょっとしたら、この監督の学生運動への距離感なのかな、みたいなところは感じたりした。

若松孝二『情事の履歴書』を見たのこと - 関内関外日記(跡地)

 まあ、一歩間違えれば学生運動に対する皮相的な揶揄にもなりかねないんだけれども、一方で、たとえば若松孝二が映画の中でこんなシーンを見ると、それもひとつの視点としてあってもおかしくはないのかもしれないなどと思えてきたりもするような感じがないわけではないのだけれども。それに、ソ連とか共産主義への恐怖みたいなもんもあったはずだし、俺だってソ連健在の時代に物心ついていたし、そのあたりの生々しい怖さはあんだろうというか。
 いや、さっきも書いたけど、ワーッという盛り上がりはあった。生々しい戦争の記憶があって、目の前にそこにつながる何かがあって、阻止したかった、そういう少なからぬ人の思いは本当だろう。ただ、その少なからぬの度合いを測りかねているというか、正直わからんというか、わかったところでどうなろうかというか。
 まあしかし、そのあたりの挫折が「疼きつづけるトラウマ」(パンフレット/上野千鶴子)だったり、あるいは10年くらいあとの「過激派の時代を生き残ってしまったことの疚しさ」(内田樹/文庫版『ジョン・レノン対火星人』解説)なんだろうか。60年安保に共鳴した人間は、70年安保の果てのあさま山荘事件に裏切られ、高度経済成長の中に安住していく自分に裏切られ、みたいなところがあんのかとか。
 まあ(←この「まあ」とか「というか」はだいたい書いてることに迷走してるときのサインなので)、それで、その先に俺が生まれて、育ってきて、気づいたら昭和は終わってて、そのうえ21世紀だとかいう。それでも、たとえば沖縄にとってはものすごいリアルに存在する話であって、さらに尖閣諸島の問題でも出てくる話であって。それで、じゃあおまえ、安保どうなのと言われると、「ちょっとなんか新書とか読むから待ってください」という感じであってね。なんというのか、もう喧嘩するならアメリカ頼りというのが現実であって、「尖閣諸島が安保の対象だというお言葉を引き出しただけで日本大勝利」みたいな見方もあるだろうし、そこにしか道がないと見るのもひとつのリアルというものかもしれないが、それもなんか胸糞悪い話であって、しょせん小国日本が近代化だの高度経済成長だの息巻いたところで、ちょっとでかい国にすごまれれば土下座してべつのデカいやつの足の裏なめて、それで這いつくばっていいようにされていくしかないのかなどと思えば、「もはやこれまで」と、ひとつ派手に散ってみせるか、もうなにも奪えないくらいに消費しつくして、おまえらにはなにもやらんし、来たところで無人の荒野に二足歩行の殺人ロボット(外装は石黒教授デザイン)が徘徊してるだけだ、みたいな未来を想像したりして悲観主義自己憐憫スパイラルに陥ったりもするが(俺が俺と日本を重ね合わせに考える癖は、すごい根深いよ)、いや、まあそれもいいんだけれども(いいのかよ)、どうしたもんかね、というような。
 でもなんだろうね、この、31歳にもなって、きっぱりと自分の思想とかねえんだよ。だいたいこう、賢い人間ってのは、スパッと見えてて、サクっと答えられる。道があって、迷いがない。俺には無理だ。この賢くなさで、どっから来てどこに行くのかわからん。いや、行きようがない、生きようがない。とはいえ、ますます賢くなりたいと思わなくもないので、50年くらい待ってくれという気持ちはある。態度の保留が一つの意思表明であって、行動であって、それは不正義だ、悪だと言われようが、保留できるかぎりにおいて、ちょっと待っててくれという。馬鹿でハートがないんだ、勘弁してくれ。もちろん、臆病者で、勇気もないので、脅されたら鉄砲担いでどっかに行くことにもなるだろう、案外平気で人を殺せるような気もする。とはいえ、だいたい小便ちびって逃げ出したところを督戦隊に撃たれるか、あるいは日和ったところを粛清されて、印旛沼に埋められるのが関の山だろう。

 ……同僚の兵士たちが敵国の罪なき女子供を陵辱する。それに加わる勇気も止める勇気もなく、関係と思おうにも、それができないのをわかってい。しょうがないので、扉の外を見張るようなそぶりをして、心を閉ざしてタバコを吸っている俺。それを繁みの中から覗くレジスタンスたち。そう、それがまさに反攻の狼煙、最初の標的。真っ先に鉛弾食らってぶっ殺される俺。銃撃戦の中、踏みつけられる俺の死体。
 ……革命の戦士たちの意気はいよいよ戦いに向けて昂ぶっていた。しかし、その中において、今後組織の邪魔になりそうな人間がいる。いつの間にかついてきたあいつは、口先ばっかりで威勢のいいことを言うが、信念や覚悟が足りない。ああいう薄っぺらい人間が簡単に敵に味方を売る。あるいは、もうスパイかもしれない。……などと目をつけられて、いきなり首を絞められて殺される俺。長い戦いののち、誰か歴史を暴くものがいて、どっかの湖の近くに埋められているのが見つけられる俺の死体。あるいは見つからない俺の死体。

 で、死ぬとき、「あれ、俺どっか間違ってたんだろうか。まあいいや、ピース」とか思うの。

ひきこもるとき、ひきこもれども、ひきこもれ - 関内関外日記(跡地)

 それとも、なんかアレの血中濃度が高まってきて、なんかするとかさ。
 まあでも、ともかく、前向きに考えるなら、ともかく自由になりたいんだ。この不安からの自由だ。働かないで、いや、ちょっとは働いてもいいけど、職を失い、この世から居場所を失うであろう恐怖から自由になれないか。いや、なにからの自由じゃない。もっとそれ自体の自由みたいなものだ。

私が自由であるのは、私を取り巻く全ての人間が、男女問わず、平等に自由であるときだけである。他人の自由とは私の自由の制限あるいは否定ではないばかりか、それにとって不可欠な状況であり、確信である。

 それで、その自由が、バクーニンが言うみたいなものであって、それでめいめい勝手に、思い通り踊れたらいいよな。まったく。