早助よう子『恋する少年十字軍』を読む

 

『アナキスト本をよむ』をよむ - 関内関外日記

栗原康の本で知った本を読んだ。

早助よう子という名前も知らなかった。なんとも奇妙な、奇っ怪な小説集だった。情景が、発想がぴょんぴょん跳ねてとんであちこちに行く。マジック・リアリズムというにも、なんとも落ち着きのない印象がある。病人のおれが言うのもなんだけれども、どこか病的な飛躍という印象すらある。とはいえ、どこか地に根を張っている部分もあって、いたずらに跳ね回っているばかりでもない。一貫したなにかがあって、そこが魅力になっている。

文章にもぐいっと惹かれるところがある。

 不安の道にあえて踏みこみからだをなげだし、まきこまればらばらに流されてずうっといくと線が途切れた先に小屋をみつけることがある。小屋のなかにはたまに誰かがいる。でかい頭陀袋をひいていたりぼろきれを体にまいていたり痩せて裸足だったり口をもぐもぐさせていたり垢だらけだったりする。兎声はその小屋の中にいるひとに似ている。出口と入り口がある一直線の時を生きていないひと特有の、歳の読めない風貌。子どものような背丈をし子どものような顔をして頭ばかり大きい。夏のひどく暑いときと真冬の雪がふぶくようなときをのぞけば年がら年じゅう浜にいる。

「犬猛る」

「犬猛る」。「犬猛る」がいちばんよかったな。米騒動、革命、犬。『ベルカ、吠えないのか』くらいの犬小説だ。ほかに犬小説を知らないけれど。なんともふわふわした感触から始まり、次第に時代の背景が見えてきて、具体的な事件が起こり、いよいよはっきりするところがある。はっきりするところがあるが、なんともふわふわした心地があって、どうにも掴み所がないともいえる。ある時代の女性の情念とか、信念とか、立場とか、そういう見方もできるかもしれないが、そういう見方をしてもおもしろくないというところもある。

最後に参考文献として「東水橋米騒動参加者からの聞き取り記録」、「移出米商と浜の生活―米騒動・北海道通い聞き書 第三回」、『米騒動の理論的研究』などとあって、ああなるほどと思うところもあるが、少女と犬と母と兎声とアニサマと婆の世界は、どうにもこの世ではないようなところもあって、やはり奇想の代物である印象が強く、その印象の方を取りたいと思う。

どんな著者なのかとちょっと検索してみれば出てくるが、たぶんそんなにエキセントリックな人ではなさそうだ。小説を読む限り、どうにもかなりエキセントリックでぶっ飛んでいる人ではないかと思うのでそこは意外であって、人がものを書くということの奥深さを感じさせる。

そうとうに飛びまくっているので、付き合うにはけっこうな気力がいるが、その跳ね具合に付き合ってみればそれはそれで面白く、実にフレッシュでエキサイティングな気分になれる。そんな感じでちょっと読んでみてもいいんじゃないでしょうか。てなところ。