新しい日本のランドスケープ〜パブリックとプライベートを越えて〜

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LANDSCAPE DESIGN (ランドスケープ デザイン) 2007年 08月号 [雑誌]

LANDSCAPE DESIGN (ランドスケープ デザイン) 2007年 08月号 [雑誌]

 我々は、日本における“パブリック”と“プライベート”という概念に多少困惑しながらも、同時に興味を持った。この2つの概念は、建物の中では非常に明確に扱われているが、建物を越えた都市という単位になると突如、その境界は見えなくなる。つまり、日本では都市やそのオープンスペースにおけるパブリックという概念は曖昧で、デザインの対象として十分に扱われていないようであった。パブリックとしてのオープンスペースは、日本の長い歴史の中でも比較的新しい概念であり、これまで大規模な都市公園や小さな児童公園の領域にとどまってきた。現代の高密度な都市環境では、魅力的で開放的なオープンスペースこそ、人の流れをつくり人と文化の交流を促し、その場に活気を生む重要な役割を担っている。そのため、成熟した都市の中で大規模開発を行う場合、つながりのあるオープンスペースの欠如によって、プロジェクトが孤立してしまう事態がしばしば起こる。そこで我々は、ランドスケープをアーバンデザインスケールとして扱うことで周辺地域とのつながりを強化し、竣工時から都市の一部として周辺にとけ込むような、もうひとつの都市をつくることを目指した。

 これは「ランドスケープデザイン」誌2007年8月号に掲載された、東京ミッドタウンの設計・監修者、スティーブ・ハンソン氏の解説である。そして、なるほどと思いながらページをめくった私の目に、次の四文字が飛び込んできたのである。檜町公園
 そのとき、私の脳裡には電撃のように次の言葉がよぎった。
裸で何が悪い!裸で何が悪い!裸で何が悪い!裸で何が悪い!裸で何が悪い!裸で何が悪い!

 ……あの、檜町公園ではないか。草なぎ剛の……、まさにあの場である。私は全身の毛という毛が逆立つような気がした。私はまた、あの草なぎ革命のことを考えるというのか。

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 私にとって、草なぎの起こした行動は、人間の魂を解放する、高貴な革命に映った。自由を希求し、決して屈さない人間の持つ本来の闘争だと感じた。感じて、そのままに事実をありのままに記した。
 それにより、私の中で草なぎ剛という人間は、永遠のものとして結晶化されてしまった。それ以後、私はメディアを通じて草なぎ氏の名前を見ても、まるで何の興味も持たなくなってしまったのだ。彼はよりしろとしての役目を終えた。そう、革命は終わったのだ、成功裏に。その精神は消えず、われわれ一人一人の中にとけ込み、もはや目に見えぬものになった。私はそう感じていた。
 が、草なぎ剛は、決して単なるよりしろなどではなかったのである。真の知識と見識を持ち、なおかつ行動力を兼ね備えた、偉大なる思想家であった。あの行動には、まだまだ多くの要素が複雑に絡み合い、この現代を撃ち抜く青い稲妻であった。私は私の不明を多いに恥じるところである。

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 では、どこに草なぎ行動の偉大なる軌跡が見られるのであろうか。その一つ、それは、まさにその場、檜町公園がほぼその一部として織り込まれている、東京ミッドタウンの設計思想を辿っているところに明白である。EDAWのスティーブ・ハンソン氏の文章を、今一度読まれたい。どうだろうか、私は全身の毛穴という毛穴が開くのを感じずにはおれなかった。
 “パブリック”と“プライベート”。三次元的に見た人間にとって、究極のプライベートとも呼べる身体、その裸体。それを、あえてパブリックスペースでオープンする、そのこと。魅力的で開放的なオープンスペース。おお、何をオープンにするというのか。明かではないか。街灯に照らされた明らかさ! そして、ああ、彼の声によって、人はその場に流れ、活気づいたのである。


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 しかし、なぜ草なぎメンバーはこのような行動をあえて、自らの裸体で行ったのか。そこが、殉教者たる彼の慈愛の顕現といえる。彼は、その一流の芸術家としての感性で、次のことに気づいたのである。「つながりのあるオープンスペースの欠如によって、プロジェクトが孤立している」と。なるほど、設計ではたしかにオープンスペースの思想が提出され、その通り施工され、監理されていたかもしれない。しかし、だ。だからといって都市に魂が宿るとは限らない。魂が入っていない! オープンの魂が! 
 ……これを、泥酔しながら即座に悟り、我が身を人柱にして、この都市の空間の完成に寄与した草なぎ英雄、いくら賞賛されてもされつくされることはないのではないか。そう、彼の魂の解放、パブリックとプライベートを超越させたオープンマインドにより、ここに新たなるランドスケープ、この世界にいまだ現れたことのないランドスケープが登場したのである。
 そう、彼の魂の呼び掛けに応じ、たくさんの野次馬、決して東京ミッドタウン周辺に住まうハイソサイエティではない者たちが、檜町公園を、東京ミッドタウンを目指した。ついに、東京ミッドタウンの上に、本当のダイバーシティ・オン・ザ・グリーン”が現れた。股間ダイバーシティ。裸のオン・ザ・グリーン。東京ミッドタウンの弥栄は約束された。そここそが、大東京の新たなる精神的支柱であり、また世界を自由と解放によってつなぎとめる場になったのである。

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 私は、いや、われわれは、都市のことを、都市に住まうひとびとのことを、そのすべてについて、もっと考えるべきなのかもしれない。草なぎ先生は、身を以てそのことを教えてくれたようにも思う。人間は環境と無縁ではいられない。そして、多くの人間にとって都市と無縁ではいられないのだ。われわれの一挙手一投足に、すべて都市と通じた気脈を感じることができるはずだ。風の息づかいを感じていれば、事前に気配があったはずだ
 たとえば、今日、この日に世界を震撼させた押尾学先生の逮捕。これもまた、背後には六本木ヒルズという人間の意思と意思とが結束する磁場の影響がある。そしてまた、押尾大先生の行動は、都市というものを、どのような方向へかわからぬが、それを完成させようとする壮大なる実験であるかもしれぬ。われわれは、忘れてはいけない、このわれわれを包む都市という大きな生命、あるいはモンスターの息吹を。そしてまた、それを作りあげ、作りかえるのはわれわれひとりひとりの人間であるということを。


≪完≫