- 出版社/メーカー: CCRE
- 発売日: 2009/02/27
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『赤P』を見る
通称『赤P』。若松孝二、足立正生。パレスチナ解放人民戦線、日本赤軍。外国人の女性闘士。おそらく、有名人。だが、彼らは無名兵士たることを望む。名は知らぬ。少し遅れて、吹き替え音声。気になること、どうでもよいこと。一人称が「あたし」。宇能鴻一郎かと思う。最終盤。重信房子。『幽閉者』での荻野目慶子は、似ている。重信房子の一人称「あたし」。
父親(重信末夫)は鹿児島県出身であり、戦前の右翼の血盟団のメンバーであり、四元義隆とは同郷の同志である。重信は赤ん坊の頃、血盟団そして後の護国団の指導者の井上日召の膝に抱かれたことがあるといわれている。父は、雑誌のインタビューに対して「娘は立派な右翼です」と答えたといわれている。
重信房子 - Wikipedia
日本人は漢字を話し、漢字を聞く。ひらがなを話して、漢字で書くのではない。だが、俺は、この重信房子ほど、漢字で話す人間を見たことがない。国家権力との関係を措定することなしに、ギャング闘争を無媒介的に批判することなく、革命の段階を螺旋的に登り詰める、あたし。すらすら、すらすらと、これにはくらくらくる。
プロパガンダとは何か。俺などのあたまに思い浮かぶのは、びっこのギャング、パウル・ヨーゼフ・ゲッベルスのような何か。メディア戦略といってもよい。だが、この作品の中で述べられていたことは違った。プロパガンダとはインフォメーションそのものである。では、彼らのインフォメーションとは何か。武装闘争そのものであるという。それが、まず提示される。ほのめかしや誘導なんてない。宣言、宣言なのだから。いやはや。肉声以外は、ミュート。だが、俺は、ここに『幽閉者』の大石良英の音楽がかぶさればとても素敵だと思った。
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昨夜、こんな夢を見る
……諸君、『東のエデン』は、ニートが現代のテロリズムであると主張する。声なきもの、力なきもの、いや、あるものも、社会に力を貸すな。この巨大なクソに奉仕するな。なるほど、サイレント・テロ。おおいに結構ではないか。しかし、どうだろうか、そんなことをしても、クソは巨大なままクソだし、そう簡単には粉砕できない。二人の両親が一人の子を産んでもマイナス一である。生きて死んでプラマイゼロだ。生きて、死んで、死んで、はじめてマイナスを達成できるのである。この巨大なクソが、あたかも天体の運行するように自然な顔をして、まるで人類の暁から宵闇まで回りつづけるというような欺瞞が許されるはずがない。全部、ぶちこわすんだ。この世のいっさいの建築、創作、創造に手を貸すな。集合、集団、民衆に加わるな。人間は、集まるな。男女は、性交するな、男は種をまくのをやめよ、女は孕むことをやめよ。あらゆる進歩の歩みの脚をひっぱれ。調和の和を乱せ。巨大なクソにクソをぶつけろ、クソの玉突き、玉突き衝突! 高級車も軽自動車もスポーツカーもエコカーも、あらゆる直線、あらゆるカーブ、あらゆる交差点で衝突しろ、炎上しろ。クソの玉突き、玉突き衝突! 的球をぜんぶ黒く塗りつぶせ、手球をケツの穴にぶち込め、さらにキューを押し込め! キューをへし折れ! ラシャを引っぺがして、火をつけろ、狼煙だ! ここに集まれ、いや、集まるな! そのままでいい、そのままそこで裸になるんだ。いや、お前はもう裸だ。裸のままでいい。裸のままで生きろ。誰に気づかれてもいいし、気づかれなくてもいい、逃げてもいいし、逃げなくてもいい。だが、その内心で、文明も文化も法も道徳も破棄せよ! 唾棄せよ! 内心そのままにして、学生服を、背広を、軍服を着て生きろ。制服を着た狼煙になれ。裸で何が悪い、服を着て何が悪い。何も違わない。フロントも銃後もない、常在戦場の戦場もなく、非戦場もない。お前の正体はパンツを履いたサルだし、履いていないかもしれないし、サルでないかもしれない。そんなもの、どっちでもいいんだ。ぜんぶクソだ、クソの玉突きだ。この宇宙のクソが、最初に玉突きはじめたときからそうなんだ。この運動、玉突いて、突かれて、打ち疲れて、疲弊した青い顔、首つりの死に顔、投身自殺の死に顔、溺死体の死に顔、われわれがクソだと思っていたわれわれはクソを運ぶフンコロガシにすぎず、クソの方が大きな顔をして、お前を踏みつぶそうとするんだ。だから、お前はクソを突け、クソ漬けの脳味噌と、重くなった身体、すっかり失った感受性、そのくたびれに火をつけて、クソ爆竹大爆発、せいぜい嫌な顔をするやつらにはそうさせておけばいい。そいつらも、また全部同じなんだ、しょせんはクソの玉突きのなんかの弾みで練り上げられた泥人形、いつか裸になるんだ、もう裸かもしれないんだ。蹴り上げろ、叩き潰せ、踏みつけろ、唾棄しろ、ゲロぶっかけろ、小便ひっかけろ、くるくる回れ、踊れ、疲れたなら眠れ、そうだ、眠っていてもいいんだ。眠って夢見ろ、夢見てるのが一番いいんだ。このクソの血肉から遊離しろ、無意識への遊学、うつせみのまどろみ、まぶたを開けばいつもの天井、そんなものぶっ刺せ、ちんこ突き立てろ、小便ひっかけろ、それがお前にかえってくる、それでいいんだ、いいからやれ、やるんだ、まだ足りない、蹴り上げろ、叩き潰せ、踏みつけろ、ひっかけ、噛みつけ、目を潰せ! 目だ、目を狙え、目が弱点なんだ! 目を閉じろ、耳をすませば、どこか遠く、いろいろのクソがクソとあらそう音色が聞こえる。俺は殴るし、俺は蹴る、俺は眠いし、俺は屁をこく。俺は走るし、俺は歩く。俺は行くし、俺は帰る。俺は生きるし、俺は死ぬ。クソとクソの玉突き衝突、突き出せ、押し出せ、がぶりよれ。押して駄目ならネコだまし。キャッと跳ねのき八艘跳びだ。くそったれ、逃げろ、よけろ、相手にするな、ちくしょう、足出せ、すっころばせろ、落とし穴掘れ、突き落とせ。ガソリンぶっかけ、火をつけろ、ほら、また狼煙、狼煙、狼煙があがった、さあ帰れ、今日の祭りはおわりだ、夕焼けカラスと一緒に帰るんだ。夕方帰り道、よそのうちの夕餉の香り、叩き潰せ、蹴り上げろ、ガキをジャイアントスイングしてちゃぶ台に叩きつけろ。ほら、また聞こえる、あちらこちら、大相撲中継のもれる音、ナイターのラッパ、ひんやりしてきた空気。学校に忘れてきたプリント。お前は、ランドセルの背負いひもを両手でぎゅっと握りしめて、いつもとは違う、暗い路地を走るんだ。どこまで、どこまでも、走るんだ……。人間生活の終末は、すべての人工組織から開放せられて、自らの組織の中に起居する時節でなくてはならぬ。つまりは、客観的制約からぬけ出て、主観的自然法爾の世界に入るときが、人間存在の終末である。それはいつ来るかわからぬ。来ても来なくてもよい。ひたすらその方面へ進むだけでたくさんだ。それまでは人為的組織は、それを作り上げるまでのさまざまの条件の転化するにつれて、転化するにまかせておく。さまざまの条件とは、自然界環境と、組織構成員の知的・情的・意的進転である。(この内外の条件は最も広い意義においていうのである。)これらの条件はいつも移り変わりつつあるので、それを大にして、人間が考え出し作り始めた社会組織なるものは、けっして永続性を持たぬ。また一場所・一時代における構成が、そのまま、いつまでも、どこへ行っても、完全であるとは、夢にも想像できぬ。それゆえ、いつも不定性・移動性・局部性を持ったものと、考えておかなくてはならぬ。
「現代世界と禅の精神」鈴木大拙