『ヒトラー最期の12日間』を観た

ヒトラー~最期の12日間~スタンダード・エディション [DVD]

ヒトラー~最期の12日間~スタンダード・エディション [DVD]

1945年4月20日、ベルリン。ヒトラーは56歳の誕生日を地下要塞で迎えた。ソ連軍の猛攻により、戦況は日毎に悪化。極限状態の中、彼はある重大な「決断」をするに至る。……全てを目撃した秘書が今明かす、衝撃の真実。

ヒトラーと俺

 ヒトラーと俺、俺とヒトラー。いや、ナチスと俺、あるいは、ゲッベルスと俺。
ゲッベルス―メディア時代の政治宣伝 (中公新書)

ゲッベルス―メディア時代の政治宣伝 (中公新書)

ヒトラーを取り巻く人々の中でも、ゲッベルスの特異性は抜きん出ていた。軍隊経験を持たず、常に私服で通し、打算と無縁のヒトラー崇拝を貫き、必ず自らを「博士」と呼ばせた女誑し。良識ある市民によって選ばれた政治家でも、伝統的保守主義者でもなく、いわばよくある極石崩れの妄想狂だった、ゆがんだ逆行的モダニストが、宣伝と技術と感覚と行動力のみによって大衆を動員していった経緯を、公刊された厖大な日記によって辿る。

 この新書が、父の本棚にあったのか、俺が書店で選んだのか。おそらく前者。何とはなしに読み始めたと思う。中学一年か二年か、新書ばかり読んでいたころ。そして、俺はこの本にぐいぐい引き込まれた。いま考えれば、小説のように読んでいたのだろう。何度も読み返した。
 ともかく、ゲッベルスという変な奴がおもしろかった(というのは語弊があるか?)のだろうと思う。国民宣伝啓蒙相。ライヒスライター。ユダヤ人をマダガスカル島強制移住させようとしたり、芸者と遊びたいがために、日本赴任を希望したりした奇人。……それほど宣伝戦略や戦術に優れていたわけじゃねーんじゃねーの? と、最近では言われてるらしいが、まあそうであっても、ゲッベルスのキャラにたいした違いはないだろう。ゲッベルスの人生、その死。
 ……というわけで、俺はゲッベルスからナチに入った。いや、ナチ党員になったというわけでなしに(つーか、なれねーし)、なんというか、たとえば、戦国時代に興味を持つのに、山中鹿之助から入ったとか(注:あくまで例です)、そういう感じだ。最初に一人興味を持つと、そこから広がっていくでしょう、あらゆるジャンルについて。その後、ナチスを取り扱った本、ナチスが出てくる映像作品などを読んでも、とりあえずゲッベルスを探すようなところがあった。

劇画ヒットラー (ちくま文庫)

劇画ヒットラー (ちくま文庫)

ナチスの美

 さて、正直、告白すれば、中学生というか、中二病というか、厨というか……ナチス、二次大戦時のドイツ軍ってかっこよく見えた。これは正直。ちょうど、エアガンなんかのミリタリ趣味もあったころだから、そういう雑誌の通販で、SSバッジやハーケンクロイツバッジを買ったと思う。今はとこにあるかわからんが……。そんなわけで、また正直に書けば、どんなにナチスの非道を取り扱った映像作品であれ、その制帽、制服を「かっこいい」と思えてしまう俺がいる。どうも、そこんところを無視してナチスについてあれこれ書くことは、自分について嘘をついているような気になるくらいだ。はたして、そういう方面からナチスを語ることは、ナチスの罪と無縁でいられるか、いられないか、また、それをこのように書くことは、ナチの美化につながるかどうか、それはわからん。わからんが、「自由」の好きな俺が、その対極にあるような全体主義者どもの美学に屈するというのはどういうことだったか……。ちょっと、このあたりはまた、いろいろありそうな気もする。ないかもしれない。でも、とりあえず、書いておきたい。あと、下の本をいつか読みかえそうと思う。そのころ、読んだ本だ。
蝶とヒットラー (ハルキ文庫)

蝶とヒットラー (ハルキ文庫)

さて、ヒトラーだけど

 俺は、この映画を観ながら、こないだ読んだバクーニンを思い出していた。バクーニンを読んで、ヒトラーを思い浮かべたのを思い出していた。1871年に執筆された「鞭のドイツ帝国社会主義」の、この下りだ。

 ドイツにおいては、底なしの政治的、社会的隷属の雰囲気を吸わねばならず、しかもこの隷従たるや、哲学的に正当づけられ、あの偉大な国民によって、とくと承知の上での諦念と自由意思とをもって受け入れられているていたらくである。彼らの英雄は ――私はここで、今日のドイツについて語っているのであって、未来のドイツを語っているのではない。つまり、貴族の、官僚主義の、政治的の、ブルジョワのドイツであって、プロレタリアのドイツではないのだ―― ドイツ人の英雄は、マッツィーニやガリバルディとは対極に立つ。すなわち、プロテスタントの神の凶暴で素朴な代表者であるウィルヘルム一世であり、またビスマルクモルトケ、マントイフェル将軍とウェルダー将軍ら諸氏である。
 ドイツは、その国際関係において、そもそもはじめから、漸次に、体系的に侵略と征服の魔手をのばし、隣人の領土にドイツ的な自発的隷属を拡大しようとした。ドイツが統一的な勢力となって出現したのち、それは全ヨーロッパの自由に対する脅威となり、危険となった。今日、ドイツという名は、勝ち誇る残忍な奴隷根性を意味している。

 全集では、バクーニン、そしてクロポトキンの反ドイツ(人)的性格について、ほかのアナーキストたちを困惑させたとあるように、一国の、あるいは一つの民族を……

 ……
 ……あー無理、なんか話でけーよ。俺、映画ひとつ見て、その感想文を提出しようとしてんのに、悪と美と機能美と歴史的評価とその言及における政治的影響性についてや、国民と国家とその歴史と性格あるいは性格のようなものがあるとすれば、とそれに対する各国人の批評と自国民による自省のあり方はいかにあるべきか(?)みてーなもん、とてもじゃねーけど、俺、わかんねー。手に負えない。パス、パス、パス。ドイツの歴史もよくわかんねー。まず大モルトケと小モルトケのほかに、中モルトケがいたのかどうかとかから勉強しなきゃいけねー。
 あ、それと、マントイフェル将軍ってのは、wikipedia:ハッソ・フォン・マントイフェル将軍でなく、プロイセン首相のオットー・デオドール・フォン・マントイフェルのことか? いいや違うな、パリ占領軍司令官で元帥に叙せられてるエトヴィン・フォン・マントイフェル男爵っつーのがいるみたい。で、彼らの血縁関係は? なに、オットーとエトヴィンはいとこ同士だって? じゃあハッソは? ほら、わかんねーっつーの。

ヒトラー最期の12日間』の感想

 えーと、とくに目新しいヒトラー像ではないと思った。ユダヤ人から「ヒトラーを人間的に描きすぎている」と批判されるのもわかるが、やはりこの程度の人間味はあったろうし、それゆえにおそろしいものがあるのだと思った。ヒトラーを演じた役者は、かなりむずかしい役どころだったと思うけど、ヒトラーみたいに見えたと思う。
 ゲッベルス役は、はじめちょっと変な顔かな(失礼)と思ったけど、だんだん個性が出てくるのだった。あとは、エヴァ・ブラウンが実になんというか、これは美化といっていいのかどうか、いや、実像など知らないが、この映画の中では非常に魅惑的な人物として描かれていた。一般にエヴァ・ブラウンがどう考えられているのかはよくわからない。ただ、ヴォネガットの著作にすら、「最高の女性の一人であるエヴァ・ブラウンですら」みてえな表現があったな。そうだ、『タイムクエイク』だ。そこでも、この映画にひけをとらないヒトラーの最期、キルゴア・トラウトの描いた最期が紹介されているので、ともかく読むべき。
 えーと、それで、そうだ、この映画、邦題だと、いかにもヒトラーの最期までの映画って感じだけれども、その後もちょっと長いというか、そのあたりがね、なんとも印象的というか。この、もうみんなもうろくしてる、異常だって独裁者を担いでてね、それが失われたあとのね、しかしやっぱり、独裁者がいなくなった、そんときの周りの連中の行動とか考えとかさ。
 しかしまあ、地下壕の中はあんだけ本当に酒飲んで乱痴気さわぎやってたりしたんだろうかね。したのかもな。ようわからん。それで、ベルリンを廃墟にして、大勢の国民を殺してしまったのだから、なんというか。ああ、でも、原爆落とされた日本人も言えないか。あと、Nスペ見てて、海軍の軍令部のやつだけど、なんつーか、しかし、ひょっとしたら酒飲んで自殺した方がマシじゃないかというような、そんな不埒な感想を抱いたりもした。
 あと、不埒ついでに言えば、たとえば、今のアメリカみたいな国が、なんか戦争やって、こんな風に大負けして、最後の最後、ホワイトハウスの中はどうなっちゃうのかとか、そんなん妄想したりした。そんなところでさ、勘弁してくれ。

 ↑あれ? 同志スターリンは庵野を襲撃したんじゃねえの? 真希波は俺も好きだよ、総統。

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