追憶の色/20分でこのくらい

 ちかごろつとに「かわいいもの」への意識が大きくなっているのを感じる。ある種の男性からとかく馬鹿にされがちな「かわいい」だ。こういうのを性とかジェンダーとかの俎上に載せれば、それはそれとして話は広く深くなるのであろうが、そのあたりは知識がないのでご遠慮願いたい。ともかく、俺が俺を見て述べるのみだ。
 具体的にはどのあたりかというと、たとえばニンテンドーDSiを購入したときのことだ。どピンク色のそれを買った。迷わずにだ。購入自体が深慮したものではなかったとはいえ、たとい深慮したところであれ、俺は同じ色を選んだのではないかと思う。さらには、百均で買ったネイルだの携帯だのを装飾するための、きらきらのシールを貼ったりしている。あとはだいたい、この日記のデザインとか、あるいはブックマークや長いこと変えていないアンテナのデザインを見ていただきたい。
 また、服などもそうだ。まあ、普段着というと普段着でそれなりのこだわりがあるが、たとえば自分がどのようなものでもいいと思っているような、一種作業着的なもの、たとえば自転車に乗るときの服などだ。ユニクロで買ったドライジップパーカーが二着あるのだけれども、一着はひどくピンク色だ。ミスターピンクかというピンクさ。しかも、それにあわせてスポーツオーソリティーで四足八百九十九円(その日はカードでさらに一割安くなった)の靴下、それも黒の地にピンク色といったありさま。だいたいこんな具合なのだ。
 まあ、そもそも派手な色への志向というものはあった。幼年期はどうだったかというと、そのころはそうでもなかったかな。やはり、「男は青、女はピンク」の価値観というか、決まりというか、そういうものが大きかった。
 ん、ピンクで思い出した。自分の小学校では「縦割り」というグループ分けを全校でしており、運動会などは「学年/クラス」対抗ではなく、一年生から六年生までそろった、それぞれの組対抗戦という形をとっていた。そのグループ名に用いられたのが「色」である。紅白の発展系のようなものだろうか。これが、何組あったか。たしか、八色あった。ただ、八組対抗では大変なので、そのうちの二色が組になるという形である。
 自分が「ピンク」組になったのは、いつだったろうか。高学年だったような気もする。鉢巻きもピンクだし、ピンク色の応援旗のようなものを画用紙に書かされたりした。そのときの妙な気持ち、それを覚えている。女の子の色だと思っていた「ピンク」を身につける、一種の背徳感といったらいいすぎだが、やはりそこには、女装をするようなどきどき感があったのは確かだ。その後、女装をする機会にはめぐまれなかったが、もしもそういう巡り会いがあれば、今もどんなかっこうで暮らしていたかわからない。
 このあたりの根っこがどこにあるのか。そのあたりは、脳細胞をひとつひとつ検証していってわかることなのか、あるいは逆行催眠などにかかってわかることなのか、俺はしらん。しらないが、ひょっとすれば、もっと昔にさかのぼればいいだろうか。幼稚園以前のこと。
 そうなると、もはや伝聞記憶に近くなってしまうのだが、どちらかというと「女の子と間違えられるような子供」だったという。そんなことを聞いていると、だんだんと幼心に「女の子である自分」のようなものを感じずにはいられないと、そういうところもでてくる。自分はひょっとして、そこまでさかのぼって、女の子的なかわいさへの憧憬や関心があるのだろうか。
 ……ただ、これをこのように男の子/女の子というような、やはり性差とか性差のもたらす文化とか、そういったところだけに押し込んでしまうというのも、どうもしっくりこないところがある。俺は俺で、そういった自身の性についてのあれやこれやとは無縁に、悪趣味なのが好きなんだぜ、というところがある。派手で、ごたごたしていて、キラキラしていて、ピカピカして、色もギラギラなのだ。ハワイアンシャツとか、ケータイを飾る蒔絵シール、あるいは青色LED。単にピンク色できらきらが好き、という部分もある。そのあたりの色やデザインへの嗜好というものも無視したくはない。
 まあともかく、そういう面があっても、だんだんと自由に、好きな色、好きなデザインへ昔よりさらに自由になってきた、という感じがある。それは、自分自身の体がすでにおっさんになり、美少年だった(断言するか?)あのころには帰れないという、そういう面があるのかもしらんと、そのようにも思うし、また、感傷と追憶とともに、今、ここの自分を観察していかねばならんと思うのである。18:15-35。