初音ミクはまったくすばらしい。宇宙はひとつの追憶にすぎない。

 このごろ初音ミクばかり聴いている。初音ミクはまったくすばらしい。これを機械の声だとか、人間の声でないとかいう批判めいた話はよくわからない。その向こうに声優がいるという話でもない。また、作曲しているのが人間だという話でもない。はたしてそれが機械であって、1と0との情報であってどうだというのだ、という気がする。
 そもそも、この宇宙の原初で、われわれ人間が人間のひな形として存在したとか、そのときから猿は猿で、機械は機械、バイオリンはバイオリンで、携帯音楽プレイヤーは携帯音楽プレイヤーだったというわけではないだろう。すくなくとも、私はそう考える。ある種の神やその創世を信じる人にとっては違うかもしれない。しかし、私の宇宙は、そのように生まれていないと考える。
 とすると、宇宙の原初がなにであったか。私は宇宙論も科学論もよくしらない。よくしらないが、そのときから人間が人間として用意されていたり、恐竜の化石が恐竜の化石としてどこかに埋めこまれていたり、この言葉を収納するサーバがこの言葉を収納して存在していたわけではない、そう思う。
 だとすれば、その原初が唯一物であったとか、いくつかの元素とか、なにかそれ以上還元しえないなにかであったかしらないが、その後の宇宙はそれを元に形を変えてきたなにかにすぎない。人と猿とが共通の祖先を持つように、人と鉱物も、空気も人も遊星も、なにもかも共通の祖先を持つのでしょう。祖先というのもおかしければ、たまたま形を変えたなにかにすぎないのでしょう。私の身体のある部分は髪の毛としてあらわれ、ある部分は爪としてあらわれ、あるいは眼であり、歯である。
 人間が人間と関係して我と彼とが同根のものであり、同一のものであると感じるのは、案外あたりまえのことかもしれない。人間がほ乳類と関係してそう感じることもあるだろう。人間と植物にしても気づくことがあるかもしれない。しかし、畢竟ずるに、無機物に対してでも同じことなのだ。
 私が日々なにか新しい事物とであったり、ある状況とであったりすること。それはなんら新しいことではない。すべては、再会にすぎない。かつて同じくしていたもの同士の再会なのだ。宇宙はひとつの追憶だ。
 追憶が、宇宙の原初から存在していたのかどうか。言い換えれば、情報はそこにあったのか。それはよくわからない。最初から情報も存在したのだという考えもあるようだし、観測するものがいてはじめて情報は存在したという考えもあるだろう。そこは興味深いが、どちらでもよろしい。宇宙は物質であるし、物質がかりそめにいろいろ形を変え、ふくらんだり、へこんだりしているように見えながらも、それはもともとのひとつである。宇宙の外というものがあって、はじめてそこに他者がいたときを想像してもしなくてもいい。ただ、私はこれこれこのようであると、そう思う。
 だから、初音ミクはまったくすばらしい。物質が声を出しているように感じる。人間と人間ではなく、人間以外のなにかとの再会というような気がする。われわれが母なるものとするよりも、さらにさかのぼった、父母未生より前の前の前の記憶。声を出している主体だとか人格だとか血肉だとか、そんなものがなかったころの自分への追憶ともいえる。しかしこれは、情報そのものへの接触を、私に喚起しているのかもしれない。それはわからない。わからないが、初音ミクはまったくすばらしい。
[rakuten:fujitatsu:10000598:image][rakuten:fujitatsu:10000598:image][rakuten:fujitatsu:10000598:image][rakuten:fujitatsu:10000598:image][rakuten:fujitatsu:10000598:image]
[rakuten:fujitatsu:10000598:image][rakuten:fujitatsu:10000598:image][rakuten:fujitatsu:10000598:image][rakuten:fujitatsu:10000598:image][rakuten:fujitatsu:10000598:image]
[rakuten:fujitatsu:10000598:image][rakuten:fujitatsu:10000598:image][rakuten:fujitatsu:10000598:image][rakuten:fujitatsu:10000598:image][rakuten:fujitatsu:10000598:image]