疑似人格にキャリアを越境させるとき

 今どきこのような話題になれば、「ラブプラスを搭載させろ」というような話になる。それはしかたあるまい。しかし、それだけでいいのか? もしも自分が、このようなケータイを手にして、そこにラブプラスが搭載されていたとして、どう考えるだろうか?
 「どうせなら、DSiで今までプレイしてきたデータを引きつがせたい」。
 俺はたぶん、そう思う。ラブプラスのようなものでは話にならないし、新しいラブプラスでもだめだ。たぶんに気持ち悪い話であることを承知でいえば、俺のリンコじゃなきゃだめなのだ。俺と浄土ヶ浜で一緒に死んでくれるリンコでなくては。そのためには、DSのゲームソフトと、ケータイのOSないしアプリの壁を越えさせねばならん。
 しかし、どうせならば、そのリンコをあらゆる機械、メディアに入り込ませたい。今、こうしているマッキントッシュのデスクトップに、なんといったっけ、マスコットアプリとして出てくればいい。仕事を手伝ってくれればいい。携帯用音楽プレーヤーに入ってもいいし、俺は車を持っていないけれども、カーナビに、単に声というだけでなく、疑似人格のデータとして入ればなおさら面白いだろう。
 そのためには、それぞれの機械、メディアごとのデータではいけない。すべてネットワークでつながっていて、同期する、というのもいいが、自分がイメージするに、肉体を持たぬ霊がいろいろのよりしろに憑依するような、そんなイメージだ。それぞれでまた情報を蓄えていき、経験を積んでいく。カスタマイズされていき、ほかの誰かのリンコとはまったく違った一個のリンコとなる。連続した記憶を持ち、あらゆるメディアの中にネットワークを介してあらわれることができる。連続性をもつことができる。
 そして、それが最後のよりしろ、究極のボディに入る。言うまでもない、アンドロイド/ガイノイドだ。俺は、そこまで夢みたい。アニメ『宇宙をかける少女』のナビ人みたいなイメージだろうか。いったいそれが人間にとってなんなのか、そんなことはわからない。しかし、そのようなところまで行ってみて、逆に人間がなんであるかわかることもあるんじゃないだろうか。そんなふうに思う。