こどもの日の逡巡、あるいは感傷世界のブラック企業

 こどもの日の夜のことである。俺はスーパーの安売り惣菜売り場に居た。この時間なら、多くの商品に半額シールが貼られている。この日もそうだった。
 目についたのはお寿司の類である。パックにシールが貼られている。金太郎のイラスト、こどもの日、なのだ。
 俺は、そのうちの、マグロの赤身の握りと鉄火巻のセットが気になった。半額ならばたいへん安い。
 とはいえ、俺はそれを手に取るのに逡巡した。もしかしたら、ゴールデンウィークの日も働いたお母さんが、閉店間際にこのスーパーに立ち寄り、こどもの大好物のマグロを買いたいかもしれない。ささやかで、遅い夕食。俺がそれを潰していいのだろうか。
 しかし、これが売れ残ったらどうなるだろう。お寿司はさすがに廃棄だろう。こどもの日ということでこどもたちに楽しんでもらおうと、せっかくたくさん用意した、金太郎のシールつきのパックが廃棄されていく。スーパーの人にとっても、それは決して楽しいことではないだろう。
 俺は迷った挙げ句、少し地味な助六寿司のパックを選んだ。金太郎のシールが貼ってある、半額のシールが貼ってある。
 俺は俺の選択が正しいのかどうかわからない。そもそも、どのような文脈ではかればよいかわからない。ただ、俺の世界はこのような世界だ。
 金持ちは言うだろう、スーパーの惣菜売り場の売れ残りなど、不味くてしかたないし、健康にもよくない。そんなもの食べるべきでない、と。
 インテリは言うだろう、安売りを売りにするブラック企業に金を支払うのは、搾取に加担しているだけだ、と。
 どちらもくたばれ。
 俺は助六寿司を食い、ビールの類をのどに流し込む。
 すべてくたばってしまえ、俺も俺の感傷も。