文章なんて簡単に書けて当たり前だと思っていた


 タイトル・オンリー……にしたい気分。
 「文章」といったって、きらびやかなデコレーションをほどこしたものだったり、なにかすばらしい効能が期待できたりするものだったり、そんなたいそうなものじゃない。スーパーの袋詰めに失敗して、ひどい形にひしゃげてしまった値引きシール付きの惣菜パンみたいなやつ。そんなのならば、いくらだって書けるだろう、書けないはずがない、書けて当たり前だ。書くことがない? そんなはずはない。六塵悉文字、スーパーの袋詰めに失敗して、ひどい形にひしゃげてしまった値引きシール付きの惣菜パンの話でもなんでも書けるだろう、書けないはずがない、書けて当たり前だ。おれにだって、あんたにだって、大五郎にだって、誰にだって。
 ……と、思っていた時期がわたしにもありました。具体的にいえば二週間くらい前までは。それがどうも、違うんじゃねえか。あまりにもそいつは思い上がっていて、ともすれば異常な発想なんじゃねえか、そう思っているのです、今。
 そうして幻肢を空回しさせて、ここにこうやってひしゃげた惣菜パンを差し出すに、文章を書くってのはひどく面倒くさいものだ。とくに珍しい体験をしたり、目新しい発想が浮かんだり、人に伝えたい情報に捉えられたりしないかぎり、書こうという気がしないのは当たり前だ。いや、凡人かそれ以下のおれのようなのが生きていたところで、珍しい体験も目新しい発想もあったもんじゃない。なにかの創作物にすばらしい印象を受け取ったところで、受け取ったのだからそれでいいじゃないかという気がする。
 とくに書くべきこともないのに、ブログだなんだと言葉を連ねるようなやつは、ちょっとおかしい。おれなどはとくにそうだった。そして、「ブログに書くことがない」、「ブログを続けられない」なんていうことは、まったくもって正しいというか、そっちが当たり前だろうという心境になった。具体的にいえば一週間くらい前に。
 そういうわけで、おれはこうして昼休みに打鍵しているのも億劫きわまりないし、逆さにして振ってみたってなんにも書くことがないよ、という心もちなんだ。だからこれは、「テーマ:自由」という課題を出され、「何も書くことがない」ということを書いて提出した小学生の作文みたいなものだ。
 ああ、しかし、そのためにこの日記の入力欄の上に「今週のお題」なんてもんがあるのか。「私は〇〇王!」を答えてJTBナイスギフトをゲット! しろというのか。
 私は福王! 昔、巨人にいたような気がする……。嘘だが(この話はこれで終わる)。
 本当は巨人の話なんてしたくはないんだ。阪神と同じくらいしたくはない。この世の中は頭の中にあって、頭の中から阪神や巨人やなにかを取り出す気がおこらない。これがオール阪神・巨人という状態なのか。たぶん違う。ひしゃげて具のはみ出した惣菜パンみたいになってる。なにがって、おれのエヴリシング、エヴリシングが。