永遠のアリスの終わりとハード・ボイルド・ワンダーランド

 ジョニー・デップファンの女が「『アリス・イン・ワンダーランド』を観たい」という。なぜならばジョニー・デップが出ているからだ。
 せっかくなので新しいコレットマーレのブルク13(意味がよくわからない)に行こうと思う。ネットで座席を確保しようと思う。無理だった。深夜の日付の変わるころのしか空いていない。『アリス』ってもう公開されてからずいぶん経つんじゃないの?
 いつもの109か、ワーナー・マイカルか。それより、『アリス』は混んでいるのか? いな、どちらも予約可能だ。ブルク13に負けてしまうのだろうか。
 調べてみれば、いつもの109、アバターを観た109の3D方式(XpanD)より、ワーナー・マイカルの3Dの方がよい3D(RealD)のようである。ワーナー・マイカルに座席を確保したのだった。

 アリス? 不思議の国のアリス鏡の国のアリス? 知っているような、知らないような。そうだ、ろくに知らん。知らんから、前夜にネット上のテキストを流し読みした。流し読んだ。
 急にめんどうになってきたので、ここからは流し書く。
 俺の少女趣味のようなものについて事細かに話そうか? また、いずれ。
 アリスの主役の子。どこか少女の面影を残しているような、そんなところがある。擬似ロリビデオに出てくる、微妙な女優という印象を受ける。なんとなく、目の周りのくまのようなところがそれを感じさせる。見ていてだんだん好きになる。
 少女時代のアリスが部屋の開かれた扉の向こうに立っているところにゾクッと来たが。

 『アバター』についで二度目。こちらの方式には、メガネ者向けのクリップオン・グラスを売っているとサイトにあった。行ってみると、どこにもその情報がない。入場の段階、メガネを渡される段階で係員に聞いたところ、売り切れだという。渡されたメガネはXpanDのように大きくはなく、通常のメガネにしか見えない。思わず「メガネ外さないと見られないのか」と焦る。そんなことはないのだが。
 3Dのよいところというと、水面のところがいい。具体的にいえば、始まるまえのディズニーの仰々しいタイトル。例の城の手前に広がる水。それがよかった。ワンダーランドの中にもいくつかあったように思うが、水の遠近感のようなものがとてもいいんだ。学校のヨットの授業、海につかって舟を押し出して行って、しばらくしてふと向こうを見て、そんなときの感傷がある。
 3D映画は水の表現がいいと思う。あるいはポルノ。帰りのことだった、「そういえば、3Dでエロビデオ作るらしいですよ」と話すと、女、一通りバカバカしいと意思表明したあとに、「それに、捕まっちゃうじゃない」などと言う。
 「おまえがなにを言ってるのかさっぱりわからないのだけれど?」
 「え、だって、法律で禁止されているんでしょう?」
 「ツタヤにもあるようなあれが禁止されていたら、どんな無法の国ですか?」
 話がよくわからない。が、少し話してすぐわかった。彼女は男性のあれと女性のそれを3Dにすることしか考えていなかったのである。すなわち、それを3D化して表現することすなわち御法度という発想である。
 「あなたの頭の中はあれかそればかりか?」
 「そ、それはともかく、だいたい狭い部屋の中で3Dにしたっておもしろくないじゃない」
 ふざけんな、エロビデオが3Dになったら面白いに決まってんだろ! 部屋がつまんなきゃ、草原でも雪原でも荒川の河川敷でもいいだろう! おっぱいが3D化したらさ! なあ!

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 大人になったアリスが再訪する「不思議の国」というのは、とても寂しい感じがした。いや、アリスの意志や選択、成長、それぞれのクリーチャーどもの思い、それは寂しいものではない。しかし、それをどうとるかはともかくとして、アリスがこれを自らの夢と考えているところがあって、それはすなわち夢の世界の終わり、ワンダーランドの黄昏だ。俺はずっと、ロード・ダンセイニの『夢見る人の物語』を観ているような気になっていた。
 そしてやがて船は出て行く。七つの海には不思議があふれ、宝の島にもフライング・ダッチマンにもいきつくだろう。
夢見る人の物語 (河出文庫)

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 俺はこの映画を「寂しい」と思った。ただ、映画が寂しいところを強調して創っているようにも見えなかった。理路や意志がある。ワンダーは屈服する。そう感じたのは俺だ。

 帰り道、ワールドポーターズの中の雑貨屋で、『あまとりあ』の第五巻を買った。1955年5月の発行。この本の定価は150円(地方売価153円)。しかし、この本の川柳コーナーの「現代風俗川柳傑作選」の賞金がたいしたもので、一等賞に対して「図書券1500円相当」なのだ。ちなみに、この号の一等賞は次のようなものであった。

さまざまな不幸の涯にインポあり

 ほかに俺が気に入ったのは以下の句である。

ゴム洩れた生命あふれて青臭し

 これなど、まさに青虫であるアブソレムを想起させる。ゴムという蛹に身を包むが、やはり生命はあふれるのだ。そのような暗示である。

この腰のやり場に困るラッシュアワー

 1955年でラッシュアワー、さて、もう2010年だってのに、いまだになにやってんだ我々は。
 なにやってんだ、俺は。これは面白いのでいずれ別に書く。でも、この本の口絵がとても線がうつくしくすばらしいので紹介しよう。

 ほら、かっこいいでしょう。喜多玲子というので、こんな女流絵師がいたのかと思うも、男性、有名な人だった。

 そういえば、俺はロアルド・ダールが好きなんだけれども、『チャーリーとチョコレート工場の秘密』は読んだことがなかった。それでもティム・バートン充の土曜日、そのまま見るのもいい。

チャーリーとチョコレート工場 [Blu-ray]

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 俺はパフェが好きで好きで、いまだって将来パフェになりたいと思っているくらいなんだけれども、チョコレート単体というとそれほど夢が詰まっている感じがしない。
 このあたりの意識というのは、たとえば『新世紀エヴァンゲリオン』で、葛城ミサトと子供たちの間での「ステーキ」に対する意識に近いかもしれない。
 それにしても、ルンパウンパのミュージックとダンスにはやられたな。アリスのラストのあれも、このくらいのボリュームあってよかったんじゃないのか。北野武の『座頭市』のタップとか、そのくらい。
 それにしても、よくこれだけ嫌な感じのガキを集められたもんだと思う。俺は30のオッサンなんで、「この子たちもプロフェッショナルとして演じきってるな」とか思うにはまだ若くて、「うわ、嫌なガキ、吊るせ」みたいにわりとストレートに思うし。このあたり、俺もウィリー・ウォンカと同種なのかもしれない。

 しかしまあ、あのディズニーランドの中の悪い夢、あの世界に本当に浸らせてくれる。俺は一度だけディズニーランドに行ったことがあって(なんでこの日記に書いてないんだ?)、そこで一番印象に残ったのが「イッツ・ア・スモールワールド」の、ほとんど彼岸的な時空だったんだけれども、まさにあれだ。あれを煮詰めたような世界だ、チャーリーとチョコレート工場は。
 だからマッド・ハッターのやつがどんなやつかってのは、いまいちよくわかんなくて。
 白の女王にはまいる。ものすごくダークでしょ。ダークだ。その怖さがたまらない。単純な赤の女王の対比じゃないものね。あと、トランプの兵隊の造形は好きだった。
 クイーンズスクエアあたりか、スヌーピー、ディズニー、キティのグッズ店が並んでいるでしょ。あるいは、ひとつの店の三つのコーナーかもしれない。
 ともかく、俺はスヌーピーが好きで、スヌーピーウッドストックが好きなのだけれど、ともかくディズニーというのは苦手だ。ただ、この日見たディズニー的なくまのプーさんのぬいぐるみは、なにかピンク色のぶつぶつが出来ていて、慢性蕁麻疹になったときの俺の肌みたいだった。キティの節操無さは悪くなくて、どピンク色になったキティのキラキラなグッズとか見ていると、このあたりから大人の階段を登ったアリスたちは、やがて小悪魔アゲハになっていくのだろうと思う。あのコンドーム青虫もそんなこと言ってた。
 それじゃあ、ルイス・キャロルはこの「アリス」を観てどう思っただろう。「13年後」のテロップとともに席をたったろうか。彼のストライクゾーンのことはよくわからない。少女愛者でないにせよ、「少女もいけますよ」というやつもいる。「熟女と少年と人形と死体もいけますよ? あと、どっちの次元も」というやつもいるだろう。
 まあしかし、そもそも彼は野球を知らないから、ストライクゾーンといってもはじまらない。まず、野球の話をしよう、ミスター・ドジソン。ドジソンという名前は、中肉中背で、パンチ力のある、3A出身の助っ人選手みたいだぜ。