ウィッチたちが帰ってきた!

 知っての通り、この日記は『ストライクウィッチーズ』のすばらしさを広めたいと思って三年前に書き始めたものである。……などと嘘、大げさ、紛らわしいを三大モットーとしている私が、その仮面を脱ぎ捨ててあえてガツンと言いたい、『ストライクウィッチーズ』には魂があると!
 「魂がある」とはどういうことだろう? 自分で書いていてわからん。わからんが、世の中の人のつくったものには、魂があるものと、そうでないものがある。私はそのように思う。どれだけすばらしくとも魂があるものとないものがある。わかるだろうか。
 わからないだろうか。あるいは、その作品に内在するだけのものでなく、この今、ここにある私のありよう、ありようを作り上げてきた個人史と世界の歴史、またこの先のあるべきようをひっくるめた私との、呼応、共感、そういった関係性の話かもしれない。が、やはり私はそこに魂があるか、ないかと言いたい。「個人的には」などと前置きしたくはない。『ストライクウィッチーズ』には魂がある、『ストライクウィッチーズ2』にも魂があると、そう言いたいのだ。
★☆☆☆

見せるからには、少女のおまたに食い込んでいる白いパンツがね、光っているのか光って いないのか。「見えちゃったんだよ」なのか、「見えたからどうなんだ」っていう部分なのか?
それはきちんとやって欲しい。たとえセルアニメであってもなの。
だから、「その子のパンツを見てしまった」「見えてしまった」「見なくちゃ居られなかった」 つまりどっちかキチッとしてくれないと、そのキャラクターを出した意味が無いというよりも、 僕、失礼じゃないかと思うんですよ。うかつにパンツを描いちゃって、失礼じゃないか。

http://wijayu.at.infoseek.co.jp/tom_an2_2.txt

 富野御大はこう述べたという。ストライクウィッチーズのパンツがうかつであるはずがない! なぜなら、なぜなら……魂があるからだ!
★☆☆☆
 私は作品の批評的見方というか、知的な鑑賞のしかたがわからない。あらゆる作品についてだ。セオリーがわからない、小難しいことが言えない。ただ、ひとつだけ気にかけようとしていることがある。「ある作品の最初のシーンは、その作品で監督が一番表現したいものを表している」……だったか、よく覚えていないが、そのようなことである。『パーフェクトブルー』のDVDで監督がそう解説していたような気がするのだ(確信がもてない)。
 して、『ストライクウィッチーズ2』の冒頭はこれである。すばらしい。

 本妻といわれるみっちゃんの表情、これである、すばらしい。

 そして、宮藤が飛び立った。すばらしい。

 竹井さんがしゃべったのもすばらしいし(私が何時間あのDSのゲームに費やしたか? 知るか)、やがてはスオムスの面々も出てきたりするのかどうかは知らない。劇場版で大集合してくれてもいい。いずれにせよ、またオフィシャルファンブックなどが出れば買うだろう。CDも買うだろう。じつのところ「ブックマーク・ア・ヘッド」を歌える。なにこれ、人生楽しい。楽しすぎて死ねる。こんな風に人は息しながら生き死にしていたのに、自分はその蚊帳の外だった。だから、今は死にたくない。『ストパン2』と『けいおん!!』が終わるまで死なない。ついでに『みつどもえ』と『生徒会役員共』と『世紀末オカルト学院』も見たりする。すばらしい。
★☆☆☆
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