さよなら、サニー。

 1997年日本ダービー(GI)、皐月賞(GI)に優勝したサニーブライアン号(せん・17歳)は3月3日(木)に病気のため死亡いたしました。
 同馬は、2007年に種牡馬を引退し、北海道浦河町のうらかわ優駿ビレッジ「アエル」にて繁養され余生を送っていました。

http://www.jra.go.jp/news/201103/030402.html

 サニーブライアンが十七歳。
 まったく、そんなに時間が経っていたなんて、思いもよらなかった。去年とも一昨年ともいわないが、そのふたつかみっつくらい前の年に、お前がダービーを逃げ切ったような気がしているぜ。六番人気、鞍上には大西直宏、調教師の中尾銑治が「あとは操縦士にまかせる」といって送り出した、鹿毛ブライアンズタイム産駒。息を止めるような二分と二十五秒とコンマ九秒、そして歓喜の爆発。ふざけんな、なめんなよ!
 皐月賞に続いて、ダービーまで。大西が得たものは比べものにならないくらい小さな成功。それでも俺は、この世のすべてがうまくいくような、そんな気にさえなった。俺はまだ若く、経歴に空白もなく、はたから見れば順風満帆だったろう。まったく。
 まったく、俺はその後、カレンダーを失うひきこもりになって、競馬にのめりこんでいった。すばらしい南関東の馬たち。二千年代はじめのころのこと。一方で、中央競馬には冷めてきて、しかしそれを認めることもできずにずるずるとここまできた。
 そして、南関東から及川サトルの声が消えて我に返る。日本競馬最大の競走を振り返ってみて、色が付いているのはサニー、お前のダービーまで。どこか南の方、きっと種子島だろう、陽光を思わせる勝負服、ピンク色の帽子、色男の大西。ああ、俺の競馬はそこで終わっていたのだ。今になってようやく気づいた。気づかないふりをしていただけだった。
 俺はもう、色のついたダービーを見ることは二度とないだろう。ならばこそサニーよ、サニーブライアンよ、お前こそが俺の最後のダービー馬。どこか陽のあたる場所でのんびり草をはみながら、この世界でお前を一瞬だけ人生を共有した、ちっぽけな人間がいたことを思い出してくれるとうれしい。いつかそこで会えたらいいと思う。その日までまたしばらくは、さよなら、サニー。



(第65回日本ダービーポスター/横尾忠則