くだらない社会からは体外離脱してしまえ

Girard博士らの研究チームは論文で、脳の特定領域を活性化する脳内化学物質の能力をケタミンが遮断することにより、「運動錯覚」や「体外離脱」の感覚が生じる、との説を提示している。

http://wiredvision.jp/news/201103/2011030420.html

「身体と自己を統合する感覚を可能にしている脳内活動のパターンを、ケタミンは阻害する可能性がある」とGirard博士は述べている。

 逆にいえば、われわれが身体と自己が統合されているものという感覚も、脳内化学物質の活性の効果にすぎないとも言える、のだろうか。
 また、いろいろの人間にとって、それが「体外離脱」であるといえる体験について、それを受け容れる素地があるというのも興味深い。臨死体験におけるそれや、いにしえのろくろ首や飛頭蛮もそうだったろう。
 空飛ぶ夢も似たようなものだろうか。

ああ 人は 昔々 鳥だったのかもしれないね

http://music.goo.ne.jp/lyric/LYRUTND52932/index.html

 なんの器具の助けも借りずに空を自由に飛び回った人間などいないはずなのに、俺は空を飛ぶ夢を見て、それが空を飛ぶこととわかる。その下地がある。
 萩尾望都の『スター・レッド』だったと思うが、ミュータントによる、人類とは違う空間認識が表現されていた。われわれが主に目で認識する目の前の空間を俯瞰的な、いや、もっとべつの形で認識する。
 しかし、我々の身体には、べつだん変異だの改造だのしなくとも、今のわれわれの定型としての認識を超越することも可能なのではないか。いや、可能なのだ、たとえば上のケタミンによって、そういったドラッグによって。
 ドラッグによる人間の変革? ヒッピーみたいだ。そうだ、俺は東洋的な仏教思想、とくに禅への傾倒やサイバーパンク趣味、反資本主義、ヒッピーみたいなやつだ。ただ、そこらにあるスピリチュアル的なものにはうんざりさせられるので、あまり流行りのそれではないのかもしれないが。
 いや、真面目な話として、人間の拡張を真剣に見る必要があるだろう。身体の機械化、脳のネットワーク化。この社会がこの人間身体にとって生きづらいのであり、社会というものが簡単には変革できないものであればこそ、人間身体を変えるのも手だろう。

 雑談風になりますけれど、未来ということに関して、いまでも自動車の排気ガスを少なくしようという選択があるけれど、もう一つの選択は、排気ガスに強い人間をつくるという、どっちでもいいわけです。つまり鼻のところへちょっと仕掛けがあって、排気ガスを吸えば鼻のところでみんなそれがなくなっちゃう。人間の方を変えても自動車を変えても、どっちでもいいわけです。いまのところはもっぱら自動車を変えようとしているんですけれどね。

糸川英夫VS松本零士「人類に未来はあるか―ばら色は何色か―」 - 関内関外日記(跡地)

 たかだか就職活動がされどの最上級になって人間が自殺する社会なんてくそなのだし、それを改変するのに方法がなければ、ストレスに強い人間を機械の力、化学の力で作る必要があるはずだ。副作用のない覚せい剤、二日酔いのないアルコール。体外離脱の視野で世界を望めば、また違う人間平野が見渡せるかもしれない。俺の言ってることが間違ってるか?