ぼくは『ぼくらは都市を愛していた』を読んだ

ぼくらは都市を愛していた

ぼくらは都市を愛していた

 そぞろ歩きを楽しむ人人はみなおしゃれだ。季節の風を感じながら街の雰囲気を楽しむ。なにも急ぐことはない。高価な宝飾品も老舗の味も、欲しいものはなんでもそろっていて、ここに来れば、だれもがそれを手に入れた気分になれる。もともとそれらはこの街のもののだ。個人の手元に渡ったとしても、その価値は、街から切り離して発揮されることはない。人はその所有権を買えるだけで、本当の意味で所有しているのはこの街だから、人は死ぬとき、それ、その権利を、この街に返さなくてはならない。

 「最近、神林長平を読んでるらしいじゃないか。『雪風』?」
 「ああ、そうだとも、ただ、『雪風』の方は二冊目の途中でね、さきにこの『ぼくらは都市を愛していた』を読んでしまったというわけだ」
 「いいタイトルだ」
 「ああ、まったくだ。おれは正直いってSFだの文学だのなにか語れるようなものは持っていないけど、いいタイトルってのはわかる。そしておれはこの本を手にとったというわけ」
 「とうぜん都市っていうのがキーワードになるわけか?」
 「そうといってもいいだろう。ただ、いろいろとてんこ盛りでね、思ってた以上だ。携帯端末によるコミュニケーションからサイバネティックス的な情報の話に、拡張現実、人のいる都市、いない都市、面白いものが詰まっているんだな。それをシャーッとね、雲形定規に当てたシャープ・ペンシルできれいに円弧を描くみたいにさ、最初から最後まで」
 「でもそれって、なんかちょっと不満なんじゃないかね、あまのじゃくの君としては?」
 「好みの問題だけど、定規もペンシルもどっか明後日の方向に飛んでいっちまって、拾おうとして机ごとぶっ倒れるようなやつは好きだ。でも、この作品だってタイトルに引けをとらない内容だったぜ。おれはストライク・ゾーンが広いんだよ、北は港北区、南は港南区まであるといっていい」
 「話を戻そう、都市とか都市論、君はそういうの好きなんだっけ?」
 「それが自分でもよくわからないんだ。都市論、なんて言われると、どっかしら鼻白むところがあってね。なにか臭うんだよ、生活臭じゃなくてさ、まったく逆の、よくわからないインテリ臭というか、なんともいえない胡散臭さがさ。でも、都市っていうと、生身の自分がこうやって息を吸って吐いて生きてる場じゃないの。そうすると、否応なく無関係ではいられないなって気になる。そうすると、都市とは何か? みたいな疑問だって頭に浮かんだりするぜ。そういや、イー・フー・トゥアンが『トポフィリア』でこんなこと言ってたっけな」

都市は、肉体を維持するために必要な絶え間ない労苦や、自然の気まぐれを前にした無力感から市民を解放してくれる。われわれは今やそれを軽視したり、あるいは忘れがちであるが、これこそ都市が達成したものなのだ。物理的環境としての欠陥が、とくに産業革命以降ますます生活を阻害するようになってきた一方、理想としての都市は、もうほとんどわれわれから失われてしまったようにみえる。都市はかつて、さまざまな理由からあがめられていた。宗教的な中心として発生した古代の村落は、弱くはかない人間にコスモスの永続性と秩序を約束した。ギリシアのポリスは、市民に観念の自由と行動の永続性を獲得する機会を与え、生物的な奴隷状態を超越させたのである。「都市の空気は[人を]自由にする」とは、中世ドイツのことわざである。

 「ほう、それで」
 「いやさ、おれは体系的な学がないから引っ張ってくる本っていったらこれくらいでさ。それにしても、似たようなことを神林長平だって書いていたぜ。もっと現代の、田舎と都会の話かもしれないけどね。そうさ、そもそも『ぼくらは都市をあがめていた』かもしれないのさ。よくわからないけどね」
 「おいおい、それじゃ昔話じゃないか。SFとして一歩先があるんじゃないのか」
 「そうだな、ウィトルウィウスにこんな言葉がある」

「都市を定めるとき、その道をば宇宙の方向へ合わせよ」

 「宇宙とは大きく出たな。宇宙怪獣とか出てくるって寸法か?」
 「いや、それは読んでのお楽しみだ。ただ、宇宙と言ってもミクロコスモス、マクロコスモスってあるわけじゃないか。小宇宙たる身体の延長に都市があって、その先に理想の宇宙がある。身体から都市、都市から宇宙だ。それで、なんとなく、『ぼくらは都市を愛していた』にもしつこいほどの身体性、生身の体についての描写があるわけだ。いつだった流行った『唯脳論』だかで、都市も脳の写し絵だか言ってたような気がするが、そいつは頭でっかちじゃねえかってね。人間、腹を割って話すもんだっていう、作者はそこんところをあえて描いたんじゃないかって思うわけだ」
 「フウム。脳だけじゃなくて、身体ね。しかし、どうも本の紹介なんかからすると、さっきから一つ重要な二文字が出てこないみたいだけど?」
 「ああ、そうだ。そいつは〈情報〉の二文字だ。ただ、どうしたもんか、おれはこいつの扱いに困ってしまった。なんとか情報論だのなんだの、むつかしい話がわからんのはもともとだが……。情報というものの振る舞いについてもっとわかれば、一気通貫に人間も都市もぶち抜けるような気がするんだけどね。これもまた都市と一緒で、おれがこうやってキーを叩いてるのも情報、あと何分かあとに公開するボタンを押して後悔するのも情報、関わっている、あるいはおれ自身がそのものであるかもしれないのに、どうも手が届かない。しかし、情報は情報について自己言及できるのかな?」
 「まったくわからんね。でも、そういうSFなら最近読んだばっかりじゃないの。まあ、あれはもっときっちりしたエンジンで駆動してるから。しかし、情報震だの時震だの、SFはよく揺れるもんだ」
 「揺らしてくれなきゃおもしろくないからな。おれがこの作者の言いたいことを十全に受け取ったとは言いがたいが、揺らしてはくれるんだ。だからおれは根っからの文系なのにSFってやつがけっこう好きなんだぜ。だからまあ、それじゃ『雪風』読むのに戻るよ」
 「ああ、そうか。しかし、なんでこんなこっ恥ずかしい擬似対話風で書いたんだ?」
 「すごく楽ちんだからだ。もっと早くに気づくべきだったな。それじゃ今日はお開きだ」
 「そうか、おやすみ」

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