WIN5を買わない方がいい5つの理由

 ついに“億券”!! 22日の「WIN5」(5重勝単勝式=指定された5レースの勝ち馬を当てる馬券)で、JRA最高配当となる1億4685万110円の超ド級億券が飛び出した(配当上限額は2億円)。
 WIN5は今回で5回目となるが、これまでで最高の売り上げとなった12億879万4700円(取消、除外による返還金1489万1400円含む)のうち、的中したのはわずか600円(6票)だった。

http://www.zakzak.co.jp/race/horse/news/20110523/hrs1105231636005-n1.htm


 五重勝単式、WIN5。いよいよ日本も重勝式の時代になったかという思いはあるが、一人の馬券買いとして全くと言っていいほど購入意欲はない。皆無に近い。理由は言うまでもなく、当たる気がしないからである。
 その日のメーンレースの単勝を当てろと言われて、当てられますか? 俺には無理だ。ほとんど無理、お手上げという心境に近い。過去に、東西ローカル三場のメーンの単勝をすべて当てたことなどあったろうか。一つでも無理なものは、三つでも無理だ。五つと言われたら泣きたくなる。
 俺は小銭の博打を投資などとは思っていないが(投資というなら黒岩先生のゴールドファンドに突っ込んだほうがいいだろう)、かといって夢を買う宝くじとも思っていない。一億円のゲームとは思っていない。馬連万馬券でオンクラウドナイン、そのレベルのものだ。だから、三連単というのもあまり食指が動かない。少頭数であるとか、G1なのでせっかくだからという理由でしか買う気が起こらない。あれも当たらないゲームだ。

 当たらないゲームは虚しい。俺にとっての競馬はそうだ。ひどくうんざりしてしまう。俺は当てたいのだ。ただ、だからといって5倍の馬連を買う気はおこらない。合成オッズで見て5倍というならいくらでもあるだろうが、5倍の一点に突っ込む気はおこらない。かといって、たまの10万、100万、あるいは1億馬券を目指す気にもなれない。
 まあ、三連単によって馬連が廃止されたわけでもない。枠連だって生かされている。それぞれみな、好きなものを買えばいい。好きな方法で好きな馬券を買えばいい。俺だって選択肢に三連単がなければ少し物足りないだろう。それだけの話なのだが。
 ただ、やはり俺には五重勝単式は買えないだろうな、やっぱり。もしも、もしも万が一、五つのうち四レースまで当てて、最後の一レースを観ることになったらどうしますか。たぶん俺は死ぬと思う。プレッシャーに耐えられない。そして、頭の中ではもし今までの四レースをそれぞれ買っていたらだとか、転がしていたらだとか、そんなことばかり考えて、妄想の世界に逃げて、それでゲートが開いて馬たちが走り出し、俺は死ぬ。それが目に見えている。それまでの決着が順当で、配当も100万くらいだとしても、死ぬ。天和で上がって死ぬ雀士のごとく死ぬのは博打好きとして本望かもしれないが、しかし、どうも違う、違うのだ。俺は競馬で死ぬにしても五重勝で死にたくはない。説明はできないが。
 しかしまあ、俺が死ぬ死ぬ言うにはそれなりの根拠がある。サッカーのtoto BIGの話だ。

 toto BIGの5等だかなんだかの払い戻し、これである。もう期限が切れてしまったので一番決定的な画面が残っていないが、購入履歴ページを開いてBIGの的中欄に「○」がついていたときのこと! 俺はtoto BIGに2等や3等、ましてや5等があるなど知らなかったから「これで人生とおさらばだ」と思ったのだ。いい意味でおさらばだ。自由になったと思ったし、夢かとも思った。あれだけのことはあまりないだろう。俺は死にかけ、生まれ変わりかけた。開いてみたら馬連の中穴を100円当てたくらいの話であった。

 そういうわけで、くれぐれもWIN5など買わないほうがいい。そもそも競馬などしない方がいい。水彩画を書くなり、詰将棋を解くなり、いくらでも日曜日の過ごし方はあるのだ。まったく。

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馬連導入直後の本。清水は馬連を「レジャー主義の宝くじのようなもの」みたいに書いていたように記憶する。今やその清水も「馬単三国志」なのだから、五重勝が世間のメーンになった暁には「三連単水滸伝」でも連載しているかもしれない。