日本ダービー与太話〜モハさんの思い出〜


 ずいぶん昔のことになるが、知り合いの伝手をたよって、調布の町工場に勤めたことがあった。自動車の部品を加工する小さな工場だ。そこに、少し先に入ったという中東出身の男がいた。本名は長くて誰も覚えられず、どこか一部分をとって「モハさん」と呼ばれていた。
 そのモハさん、勤務態度は真面目で、仕事も精確だった。自分の仕事に誇りを持って、妥協を許さない。なかなかそこらにはいないような立派なやつで、一目置かれてさん付けで呼ばれていたのかもしれない。
 その彼にとくに任される仕事があって、それが社長の車の手入れだった。最初は従業員が順番にやっていたのだが(小遣いをもらえたから、悪くない話ではあった)、モハさんの手入れは一級品ということで、いつしか彼の仕事になった。かつてこの工場で作った部品が入っているとかいう、社長自慢の古い黒塗りの高級国産セダン、これをピカピカにするんだな。どっかの企業の重役が乗りそうなやつで、町工場には不釣り合いな感じもしたもんだよ。
 ある日、車を磨いているモハさんに、アラブの人は車が好きなのか? と聞いたことがあった。口数の少ないモハさん、車も好きだが、やはりアラブの人は馬が好きです、と言う。へえ、ラクダじゃなく、馬か。そうだ、今度、競馬に行ってみようと誘うと、めずらしく応じてきた。誰ともプライベートのつきあいはしなかったんだ。

 それで、次の土曜日に府中に行ったんだ。俺はひさびさの競馬場で、どんどん給料を溶かしていった。モハさんは馬券には興味がないようで、じっと馬を見ていた。パドックで歩く馬、ジョッキーを乗せて本馬場を駆け出す馬、ゴールに向かって全力疾走する馬を。物珍しいものを見るというより、なにかなつかしい光景に見入ってるような感じだったな。
 やがて日もかげってきて最終レースのパドック。俺は最後の逆転にかけてみたいところだったが、もう精根尽き果て、なにもわからなくなっていた。ふと思いついて、俺はモハさんにこう言った。「モハさん、この中で一番いいって思う馬を教えてくれよ、当て勘でいいからさ」。するとモハさん、あの馬が気持ちが強いですって一頭の牝馬を指さしたんだ。馬柱を見ても無印で、成績もふるわない。でも、ビギナーズラックってもんもあるかと、その馬の単勝と、馬連の総流しを買った。やけくそだった。
 その馬が勝ったんだから驚いたな、二番手からスルスル抜け出すと、長い直線をセーフティリードで駆け抜けた。大儲けってもんだ。俺はモハさんに配当の半分をプレゼントしようとしたが、決して受け取らなかったっけ。帰り道、競馬場に名残惜しそうにしてるから、「また来ようぜ、日本ダービーって一番大きいレースがあるからさ」って言うと、それはいいですねって応えた。
 結局、モハさんと日本ダービーを見ることはかなわなかった。しばらくして、やりたいことができたとか言って、国に帰ることになったのだ。社長も引き止めたもんだが、彼の意志は固かった。そうなると譲らないのがモハさんだ。たぶん、貿易の仕事でもするんだろうということだった。送別会で、「仕事成功したら、車買いなよ、あと、馬も」と言うと、がんばりますって言ってたな。
 あれからどれだけ経ったか、今年も日本ダービーの季節になった。そのあと、モハさんがどこでどうしているのかは知らない。あれだけのやつなら、なにかしらうまくいってるだろうと思う。ひとかどの人物ってやつになってるかもしれない。俺はといえば、相変わらずいまいち冴えない人生を送り、相変わらず当たらない馬券を買っている。あの工場も、何年か前に社長が癌で死んで解散してしまった。
 そういえば社長、たまにモハさんを懐かしんで愚痴っていたもんだ。「わしのデボネアを誰が手入れするんだ?」って。