資本主義ってデブなの? 死ぬの?

 ダイエットをしている。カロリーの摂取を相当に抑え、毎日5〜6kmジョギングするようにしている。毎日ジョギングできるくらいには摂取しているので、カロリーが足りていなかったり、栄養が偏ったりはしていないだろう。ただ、前に一食300kcalと書いたが、暑くなってきて多少不足を感じ、今はだいたい400kcal内外を目安としている。炭水化物も、オートミールのほか、昼飯におにぎり一個相当の摂取を義務づけた。プロテインと牛乳に依るところが大きいか。あとは野菜ばかり食っている。
 さて、このエントリーのこの先はというと、ダイエット脳の恐怖丸出しの、視野狭窄的で独善的で排他的で多様な価値観を認めないことを書くことになるだろう。いつものことかもしれないが。
 すなわち、なんでこんなに世の中に無駄なカロリーが溢れているんだ、と。それが不思議で、また、しょうもなく思えてならない。コンビニの棚にならぶ弁当のカロリーなど見ていてそう思う。いや、肉体労働者には必要な量だが、ほとんど一日中パソコンの前に座ってマウスカチカチ、キーボードカタカタやってるやつに、そんなに必要ないだろうと。外食にしたって、立派なところでなんかのコースでも食べればそうとうな量だろうし、ジャンクフードだって言わずもがな。チェーンだろうがそうでなかろうが、量がサービスみたいな風潮もある。
 なんか、無駄じゃねえか? いや、前から「日本のモッタイナイ精神」みたいな話をみるたびに、廃棄食料の多さが思い浮かんで、白々しく感じてはいたが。ただ、それとはちょっと違う。もっと、根本的に、やっぱりうまくいえないが、人体が生命を維持するのに、そんなにいらないだろと。俺はこうして生きているし、むしろ食えば食うほど健康を損なうくらいじゃねえか、と。
 ……と、自分で書いててナチスの健康思想かよ、みたいな気にもなっているのは承知の上。でもまあ、栄養が足りないから頭もおかしくなるというものだ。まあ、なにかこう、そういう極端な思いを抱く瞬間がある、というていどで。生きるために食うのか、食うために生きるのか、食は人生の喜びであり、また文化やその他いろいろの価値のあるものであって、単なる生存のためのエネルギー補給にあらずと、それは言うまでもない。ディストピアの近未来はだいたいチューブから合成ゼリーみたいなの食ってて、「昔人間はほかの動物を殺してその肉を食べていたんだよ」「え〜嘘ばっかり」「本当だよ、わざわざ育てた上で殺していたんだよ」「馬鹿みたい」な会話が出てくる。あるいは、主人公が本当の食べものを食べて目から鱗とか。……そんなSFアンソロジーないだろうか。
 まあいい、それでさらに、この過剰なカロリーが世の中に溢れている現状は、資本主義がそれを要求しているからじゃねえかとか、そういう……考えというほどじゃないし、思いつき? 啓示? まあなんでもいいが、そんな気もしてしまう。必要以上の余計があるからないかしら利益? 再生産? なんつーの? 経済のこと知らんが、まあともかくそれがあれだ、なんか豊かになっていくみたいな。いや、脳内で天狗にささやかれたていどの話なので、こんなんみたいな、しか言えんが。
 というわけで、デブは資本主義の宿命なのかなどとわけのわからない妄想にとりつかれつつも、つつがなく体重は減っていくし、やがて俺は0kgの体重の達成とともに消えてなくなるわけだし、その亡骸の温度は0度に違いないし、そうなれば世界の定説も我が物となるだろう。おしまい。