雨と膝。すべてがピンポイントになっていく。

 フジテレビの朝のワイドショーを見ていたら、気象予報士の「あまたつ」さんがピンポイント豪雨なるものを追いかけていた。ゲリラ豪雨よりも範囲がせまく、降雨の時間も短い。通り過ぎればカラッと晴れたりもする。原因はなにか遠くのなにかの影響でなにか雨雲かなにかが細切れかなにかになっているとかいう。東南アジアの天気予報では晴れと曇りと雨が一緒に出たりするらしいが、そういう状況に近くなっているのかもしれないという。

 いったん出社してから、整形外科へ行く。ジョギングで痛めた膝〜脛の回復が思わしくないからだ。おそらく安静にするよりないと思うが、アドバイスのようなものをうけられればと思う。会社を出たときは天気雨で、診察が終わったら大雨。薬局で湿布を買って(関節部分に貼る場合は切れ目を入れておく。半日も貼っておけば剥がしても成分は出ているから大丈夫だ。とくに夏は蒸れるから剥がすべきだ)外に出たら晴れていた。これがピンポイントか、あまたつさん?
 「ゲリラ豪雨かと思ったら、次はピンポイントか。昔からある単なる通り雨に名前をつけただけではないのか」と思わなくもないが、かといってそうとも限らない。気象について何年単位で見るのが的確なのかわからないが、ある程度の長さで傾向というものの違いも出てくるだろうし、また見る側の目も変わってくる。技術の進歩によって、見えなかったものが見えてくる。それによって世界のあるものの分別もかわり、呼び名も増える。
 天気予報についてもそうだろう。昭和のサラリーマン四コマ漫画であれば「万年外れ続けるものの代名詞」という前提で、競馬予想かなにかと絡めて一本というところだろう。ただ、最近はどうだろうか。このiPhoneとかいう小さい箱をタップ&ピンチすれば、そうとうに細かい雨雲の動きが手の内だ。かつてのテレビやラジオのみの天気予報とは、精度が違う。「横浜・雨」というのは外れて当たり前だ。現在の精度で見ていけば、横浜を指して「晴れ・曇り・雨」の予想せざるをえないし、まあテレビの天気予報も概況のようなものになっていくだろうが。

 しかし、ゲリラからピンポイント。ゲリラ戦からピンポイント爆撃、のようでもあり。適当に大砲をぶっ放してやり合っていたのが、ゲリラ戦になって、さらに細かく。まあ、科学が世界を分かっていくものであれば、そのようになっていくのかもしれない、何事も。
 俺の脚の痛みはといえば、レントゲンを撮って骨やなにかに異常は見られなかった。細かい触診で痛むところを見つけて、まあ見つけたところで安静するしかないのだけれども、だいたい膝の外側の靱帯だかなにかだとかいう話だった。
 医学などでも、総力戦からゲリラ、ピンポイント。最初は内臓を丸ごと摘出していたのが、悪化したところだけになり、最後にはナノテクでもっと小さいところを狙うだけになるかもしれない。薬なども、有効成分をたまたま含んでいる草とかをむしゃむしゃ食っていたのが、特定の成分に限定され、それだけの製剤になる。あるいは、電気ショック療法で適当に脳を刺激していたのが、狙いを定めた通電でアルツハイマーパーキンソン病を狙えるように。
 もちろん、そのピンポイント化をおもしろくないと思うような人間心理というものもあるのだろうし、漢方薬的なものへの好感といったところにつながるかもしれない。俺はあまりそういうところもなくて、わりとピンポイントを好む。薬が脳内の受容体を塞いである物質の再取込を阻害するなんていう話を聞くとうっとりする。はたして、算数や理科が俺を魅了することはなかったが、そういうところはある。