俺はもう森に帰りたい

 弁護士でも不動産屋でも賃貸不動産管理士でもない高卒の人間が書いた戯言を、何千人者もの人間が読みに来るというのは、なにかおかしいように思える。みんな、他人の喧嘩がおもしろいのだろうか? おもしろいのだろうが。あるいはみんな、不動産屋に騙されたくないと、損したくないと思っているのだろうか? 思っているのだろう。いずれにせよ、やはりすこしおかしいように思える。
 さて、下書きは一部書き換えて、DTP的な体裁を整えた上で会社のファクシミリで送信した。翌日返送という速度を優先した。不動産屋は内容証明なんぞ慣れっこだろうし、返事がなければまたべつの手段を取るだけだろう。やれることをやるだけだろう。
 ……さて、こんなやり取りをしている俺、先のことを考えている俺はどんな心境になっているのだろうか。精神的に問題があってひどく打たれ弱く、不登校もひきこもりもした俺である。腸煮えくり返って怒りが渦巻いているのだろうか、心がどす黒く塗りつぶされて暗く沈んでいるのだろうか。
 いずれもノーだ。仕事がらみでも、なにかしらこういうトラブルがあったら心臓の動悸はあっても心は不思議と落ち着いて、頭がキューンと音をたてるように回転をはじめると、ありとあらゆる可能性を予測し、相手が何を考えているのか想像し、こちらの持ち駒を確認し、持ち駒がなければ買ってくることはできないか考え、打てる手を考え、手がダメなら足を出すことを考え、あるいは勝ち目なしと頭をさげるのか、ないことにして黙殺するのか、第三者に丸投げするのか、手榴弾を投げつけるのか、実は問題自体が存在していないのではないかなどと、まったく現実的なところから、非現実なところ、完全に不穏当なところまで四方八方に意識を飛ばしては戻し、飛ばしては戻し、あるいはそれをいちいち口に出しては呆れられつつ、俺はわりかし気持ちよくなっている。ブレインストーミングとはよく言ったもので、頭の中は嵐が吹き荒れている。もっとも、俺はしょっちゅう一人でやるので病的なのかもしれない。
 俺は刑務所から脱獄した李国林のニュースを見ると、現地の人には申し訳ないが、どこかわくわくするところがあった。李がどんな性格の、どんな精神のやつかわからないが、まったくありとあらゆる可能性を探って、やれるようにやって、それはある種の精神の躍動のように思えたからだ。俺は李がどんなやつか知らないが、生まれた場所や時代が違えば立派な斥候として勲章をもらえたかもしれないし、文明のないころだったら厳しい自然の中を一人生き残れたかもしれない。
 俺は李のように強くないし、生きる力のようなものをまったく欠いた臆病者だ。ほんのささいな言葉に傷ついて、甘いもの食べたところで平気にならないから薬を食ってるような人間だ。だからこそ憧れる面があるといわれればそうかもしれない。しかし、一方で、どうもルールのようなもののないところで、勝手に一人で生きていたいという思いがどうしても強く、社会とかいうものにうんざりしている。一人で森の中、狩りをするなりどんぐりを拾うなりして生きていけるならば、わりかし悪くないように思える。
 だからたまに、なにかこう普段より選択肢の多い、フリーハンドのような状態になったと思えると、急にいきいきとしてくるところがある。敵とみなせば、いくら電話の向こうの人のよさそうなおばちゃんが滅多にない反撃にビビっているのが伝わってきても、脳内の嵐から一番効果的な声色や口調、沈黙を選ぶことができる。やれるところまでやってやるよ、やろうじゃないか。
 ……などと好戦的な気持ちになる自分が心底嫌になる。たかが数万円の金の奪い合いに、自分の全神経を集中して、弱そうな相手の人格を全否定するような方法をひねり出そうとする。法律や社会通念といった権威を最大限利用しようともする。強そうな奴が出てきたら……そのとき考える。すごく考えて、考える。
 くだらない。これがなにかもっと有意義なこと、社会正義のための弁護士の仕事などであれば、たいそう悪くないことだろう。あるいは、起業者かなにかであれば金持ちになるチャンスもあるかもしれない。しかし、俺にはそんな地位に立てる能力も志もない。まったく欠陥の人間で、せいぜい小銭の奪い合いでキャンキャン吠えるくらいしかできない。それでも吠えるしかないんだが
 それでもっとうんざりするのは、俺ていどの人間の吠え声で、たとえば今回の件で言えばあっさりと不動産屋が改修費全額の請求を取り下げてきたことだ。もちろん、それでも不服なので前回の記事だが、言わなかったら敷金が返ってこない上に、5万円以上の出費を強いられていたんだ! そして、立会人からすると、あのアパートを退居するさいに、そんな出費を強いられるのは当たり前のことらしいのだ。
 それって、おかしくねえか? もとより正義心とかいうものがスコーンと抜けてる俺なので、不正義だとは言わない。ただ、なにか釈然としないものがある。やや不正確な言い方をすれば、言ったやつだけが得をする。抜け目ないやつだけ得をする。ずるがしこいやつだけ得をする、値切ってるやつだけ得をする、不公平感のようなもの。伊集院光がこういった話題をよくしていたように思うが、自分だけ抗議してみたら優遇されてしまったときの、釈然としないなにか。
 だって、それがまかりとおると、俺は俺の知らないところで騙され、詐取され、損をしているに決まっているわけなのだし、商売の上でも知らない人間を騙し、詐取し、損をさせたやつの勝ちってことになってしまうじゃないか。弱いやつは日々すりつぶされ、疲弊し、生地獄の中をもがくことになる。そうと知ってか、知らずか。
 でも、往々にしてそれは、資本主義のルールだったり、法の知識とその活用であったり、契約の有効性であったり、交渉の成果であったり、ともかくそんな皮をかぶっているんだぜ。法の下の平等でヘビー級とミニマム級の殴り合いだ。俺がまったく社会不適応者の性質を持っているせいか、あるいは単に幼いのか知らんが、そんな欺瞞の皮は剥いでしまえと言いたい。将棋のふりすんなよ、素直に将棋盤をひっくり返して俺の頭をカチ割りに来い。俺は香車をお前の目にぶっ刺してやる、せめて左目の視力だけは奪ってやる。
 いや、そんな物騒な話じゃなくていいんだよ。少なくとももっとオープンにやろうぜってことだよ。例えば不動産賃貸で言えば、敷金ってのはあくまで家賃滞納や夜逃げ、あるいは部屋に大きな損害を出したときのためのデポジットみたいなもんだろう。いいよ、それはそれでいいんだよ。ろくでもねぇ入居者もたくさんいるだろうよ。ウシジマくんも客が怖いって言ってたよ。
 でもよ、法に基づいた裁判の結果とかで、部屋をピカピカの新品にグレードアップさせるのに敷金を充当させんのはおかしいですよってなってんのに、それを当て込むなよ。名目以外のことで詐取しようとすんなよ。だから、誰かの退去後に部屋を新しくしたいのならば、月々の家賃からそれを捻出できるように設定しておけよ。月々の家賃に堂々と織り込んでおきゃあいいだろうが。不動産屋が儲けるなとは言ってねえんだよ。選ぶ奴は、その価値があると思えばそれを選ぶ。選ばないやつは選ばない。それだけのことじゃねえのか。
 そういや昔、アメ車のwikipedia:サターンが日本進出したとき、「ワンプライス制で値引きなし」って言ってて、子供心に「それはいい」って思ったんだけど(デザインがクソダサくて絶対に買いたくないとも思ったんだけど)、なんつーのか、せめてもっとオープンに、クリアに、それでやっていこうぜ。Amazonの日本法人の社長も世界は透明になるって言ってたぜ
 ……でも、透明な世界みたいななにかが俺にとって生きやすい社会なのか、まったく想像がつかない。というか、どんな社会であれ俺はもううんざりしているし、ちょっと森に帰ることにするわ。それじゃ。

関連図書

世界の名著〈第42〉プルードン,バクーニン,クロポトキン (1967年)

世界の名著〈第42〉プルードン,バクーニン,クロポトキン (1967年)

 俺がだいたいこういう考え事をするときは、アナーキストの名著がかたわらにあるけど、とくに参考にもなっていないというか、よい引用箇所も見つからないというか。まあ、結局、ある種の啓蒙主義の極限というか、みなが悟りを開いたような人間になれば、国家も法もいらなくなるはずだし、争いなんてなくなるんだぜってところなんだが。