深夜ポルノ・ノー・モア

 この騒音トラブルの件のつづき。
 刺すだの殺すだの口では言いつつ、おれはできるかぎり法律の範囲内で「改めるまで入れるヨ」の人間のつもりではいるので(もっとも、先日の自転車事故で相手に暴力をふるわなかったことについて精神科医に「ほめられる」というレベルのキチガイではある)、どうにか深夜ポルノ騒音を止めさせる方法はないかと考えるわけだ。
 で、おそらく、騒音条例みたいなものはあるだろうが、そいつが毎晩洋ピンを大音量で響かせる可能性もなく、音量測定器みたいなのを持った市役所員と深夜零時すぎ、「今日は洋物ポルノないみたいっすね」、「そうっすね」みたいな会話を交わすはめになるのはおもしろいけどおもしろくない。だからといって、「近所の洋ピンの音がうるさくて眠れない」というので110番というのは気が引ける。
 これが、同じアパートであれば管理会社、大家への抗議という手段があるし、前のアパートではそうやって対処して効果覿面だったのだが……。と、とりあえず相手アパートの管理会社に連絡するか、と思いつく。とりあえず184で電話入れて、「お宅の管理する◎◎アパートの近所のものなんですけどね、一階の部屋から、夜中に大音量でね、テレビやらね、その、なんというか、いやらしいビデオの音が響いて、うるさくて眠れないんですよ、近所迷惑なんですよ。いや、入居者の生活態度や近隣への迷惑行為まで管理会社さんに責任があるとは思いませんが……」と。
 もちろん、これで当該アパート管理会社(大家)→入居者に注意→平穏の夜、となるとは思ってはいない。ただ、これによって相手大家が事態を知り、自らの不利益(あのアパートやけにすぐ人が出て行くな、とか。……いや、回転がいい方が大家には有利なのかもしらんが。敷金、礼金、不当な退去金)に気づくという可能性はある。そうなれば、あるいはあっという間に片が付くかもしれない。
 まあ、電話一本で探りを入れて管理会社と入居者の態度や質、いくらか情報を得られればいい。「入居者のことなんて知らない」みたいな態度だったら、「この件については耐えかねるので、警察や役所などの関係機関に相談することになると思いますが、管理会社さんの態度としてはそのようなものとして伝えます」とかなんとかが効くかもしらんし、効かないかもしれない。あるいは、「当事者間で勝手に解決しろ」ということで、騒音を出している本人の情報を得られるかもしれない。その場合、法的に、あるいは実際的にどのていど向こうが情報を出してくるかはわからないし、情報を得たところでこちらがどうするべきかは、また新しい課題になろう……。
 ……などなどと、すさまじい可能性の樹形図(なんて不毛でちんけでくだらない!)を描きながら、おれはとりあえず当該アパート(おれの住んでるのと同じくらい古く、家賃も安そうだが、間取りは単身用にしては少し広そう)の名前と、管理会社を調べることにした。って、たんに通勤途中10歩くらい歩いて、ちょっと門のところから看板かなにかを覗き込んでみるくらいのことだが(この点で警察官になにか言われたら、事情を話すのみ)。で、アパートの古めかしい名前と、管理会社の名前が……。あー、そうか、実名出せないか。なんだろう、なんかフィクションの悪役企業の名前みたいな名前と思ってくれたらいい。「グレート興業」とか、そういうレベル。ラーメンが獣臭い感じ。で、インターネッツで検索してみたら、このあたりに多い小規模不動産屋の一つとわかったが、代表者の名前が中国人っぽい。
 やや、おれは不安になった。いや、れっきとした不動産屋でなんとか登録もある。べつに中華街近い土地柄、会社のビルのオーナーも管理も中国人の会社だ。おれ自身、べつに中国人にひどい偏見があるわけじゃない。いや、あるのかもしれないが、たとえば中華街労働者用の不動産を扱う中国人会社だとすれば、そうでない場合と比べて話が通じない(ふりをされる)可能性も捨てきれない。
 むろん、それ以前に名前の印象通りあまりよろしくない不動産屋ということも考えられる。貧困ビジネス、などという単語も頭をかすめる。寿町に近い土地柄、不動産屋店頭の物件情報にめずらしくない「生活保護可」の字面。おれ自身、べつに生活保護者にひどい偏見があるわけじゃない。いや、あるのかもしれないが、深夜洋物ポルノ大音量野郎が勤め人かどうか、どんな職業か、そもそも勤めているのか、すなわち、「失うものがあるのか」という点で、野犬を相手にするのかゾンビを相手にするのか変わってくる。むろん、失うものを持っているやつの方が弱みを持つ。もし、(社会的)殺し合いをする相手が、どっかのだれかが言ってた「無敵の人」なのだとすれば、おれが望む普通の夜、すなわち洋ピンが鳴り響く夜が遠ざかるという話だ。すべてはそこに至る距離だ。しかし、とりあえずなにか、不動産屋の名前にワンストップしてしまった。要するに、ヤクザ(のような不動産屋のようなヤクザのような)と話はしたくない。もしおれが特定されたらどうする!
 ……というわけで、おれは当該不動産屋への電話を躊躇した。日和ったといっていい。考えてみれば、おれとて行き先は自死か路上か刑務所かの「無敵の人」に近い心を病んだ人であるくせに、だ。ただ、リスクに対するありとあらゆる悪い可能性樹形図がすさまじいスピードで脳内に広がって、不安が心臓をわしづかみにするタイプのきちがいではあって、はっきり言って攻守ともに弱者といっていい。
 しかし、だ。日和ったその晩からか、急にテレビの音がしなくなった。深夜のポルノもなくなった。本当の話だ。しばらくしてもおさまったままだ。むろん、向こうとこちらがともに、雨で窓を閉めていた日もあるが、そうでない日もだ。ひとつには、ひょっとすると相手がクーラーを使い始めて窓を閉めるようになったのかもしれない。が、やっぱりさすがに、テレビの大音量までは見逃していた近隣住人(おれは去年末からの住人で今が初めての夏なので)も、深夜洋ピンだけは耐えられなかったのかもしれない。このあたり、古い一軒家には年金暮らしと思しき老人。アパートには友人を呼んで騒がないタイプの単身者、そして新築の家には子供などがいる。この、最後のあたりの層が反応したのかもしれない。それとも、さすがに同じアパートの住人がグレート興業に訴えたか。まあなんでもいい。おれはテレビの大音量と鍵を閉め忘れたトランクと人と関わることが大嫌いなので、非常に助かった。まったく。