カナリアを殺すな! 俺は、お前が大嫌いだ!

 わたしは、ワタミ株式会社の社長であり、また数々の事業を展開されておられる渡邉美樹氏に対して、声を大にして言いたいことがあって、この場でひとつ、言いたいことを言わせてもらうつもりであります。
 俺は、お前が大嫌いだ!
 ただ、これであります。みなさん、なにを幼稚なことを言うのだ、感情論どころか、論もない感情ではないかと、そう仰られるかもしれない。労働者の権利であるとか、法律であるとか、そういった見地から批判すべきであると、そう思われるかもしれない。
 しかし、浅学非才の身であるこのわたしには、世の法、世の理をもって、彼をあげつらうだけの能がないのであります。そういったことは、六法全書これを諳んじられる方が大いに行われればよろしい。また、司法なり行政なり、あるは政治なりの機関が、彼に非あらばそれを追及するがよろしい。だが、わたしにはその能も資格もない。適任の方がやられればよろしい。
 では、正義であるとか、道徳、倫理によって、彼を糾弾すべきだとおっしゃる方もいるだろう。しかし、これまたわたしには何が正義で何が悪であるか、さっぱりわからんのです。わたしには道徳心もなければ、神もない、これといった信条というものすらない。このような口から、いったいいかなる道理が出てこようか、自分でも空々しくて寒気がするくらいです。
 なるほど、また氏の慈善事業のごときをもって偽善者の烙印を押す向きもありましょう。わたしは、そのような糾弾について理なしと思わぬでもない。おのが本業とおのが善行でまったく相矛盾しておる。が、そもそも善がわからぬので、その尻馬に乗ることもできんわけであります。下手なロデオはしたくもない。
 いや、そして、この現実というものを見れば、渡邉美樹という人間が、企業活動をし、少なからぬ雇用を生みだしている事実があります。また、一方で、なんらかの慈善事業をしているというのも、細かな検証をしていませんので賞賛もできないが、まったくないことではないと、これを認めぬわけにはいかんのです。これに対し、わたしは、だれか一人の雇用を生み出すどころか、必死に己が生存のために、椅子取りゲームで他人を蹴落とし、安い賃金でだれかの食い扶持を奪うような者にすぎんのです。安い飯を食い、安い服を着て、共喰いをして生に執着しているていどの人間だ。
 彼が、漫画のような悪人であればどれだけよかったことか! 慈善事業を隠れ蓑に、私利私欲、金銭欲なりを満たさんがために労働者を搾取し、死に追いやるような、ティピカルな悪役であれば! それならば、なんとか侍だの、なんとか仮面だの、なんとかプリキュアだのが出てきて事件は解決だ。だが、現実にこの人間は、そんな単純な悪者ではない。悪者であるかもわからん。むしろ、偽善の言葉でなく善の言葉を吐き出すようにすら見える。むしろ、まさにその点において、戦慄するわけなのです。
 むろん、言うまでもない、彼の善は独善であると、そう言い切るのにやぶさかではない。が、同時に、そのような者が、この実社会においてどのような地位にあるか見ればいい。大企業の経営者であり、多くの富を集め、また政治について影響力を持とうとさえしているではないか。すなわち、これが世の道理であり成功か? 彼のポジティブ志向、前進主義、やる気、負けん気、井脇、それが世の求めるものか? わたしのようなものは、極少数の落ちこぼれ、半端者、落伍者、丘の上の馬鹿にすぎないのか!
 いや、わたしはここに断言したい、わたしは一匹の馬鹿だ! それで、おおいに、結構だ! 法も道理も倫理もわからんし、ちょっと頭のネジの具合もおかしい。むしろそうありたい。同調者など求めるつもりはさらさらないし、仮にわたしが多数者側のものであったとしても、知った話ではない。数の話などどうでもいい! 数はつねに悪だ! 
 そう、ただ、わたしにはわたしの一個の感情がある。精神がある。心がある。魂がある。なんと名付けていいかわからんが、発露させねばならん何ごとかがどこかからやってきて、こうやって吠えずにはいられんのだ。俺はあんたが嫌いだと。
 あんたは、自殺者をして社会のカナリアと言う。社会のおかしさをいち早く訴えるカナリアと言う。ありきたりの言い回しであって、言いえているところが大といってもいい。言い回し自体は悪くないかもしらん。だが、しかし、ほかならぬ、おまえの口から出るとき、ぜんぜん響きがちげえよな。
 カナリアを殺すな。
 おまえのような人間が、平気でカナリアを殺す。
 おまえのような人間が、お前のような強者が、おまえの善のために、正義のために、弱いものを平気で利用して、へいちゃらな顔をしている。いや、必要とあらば、後悔の顔も見せるだろう、悲痛な表情を見せるだろう。あるいはそれを隠すふりを見せつけるだろう。いや、本心から後悔しているかもしれないし、必要な犠牲だったと思いをしているかもしれない。それを本当に隠しているのかもしれない。
 だが、根拠もなく言い切ってやる、そんなのクソったれだ。人を殺すときはせめて人殺しの顔をしろ。後悔する心があるのならば泣き顔を見せろ、どうやっても贖いきれぬと思うなら自分で自分にけりをつけろ。
 だれかがだれかの理想や善のための手段になって死ななきゃいけない世界なんてまっぴらごめんだ。それで、カナリアになってるやつがそうと知らずにいたり、あるいは知っていたりしても胸糞が悪い。暴力や、食う食えないの条件をもって、だれかにカナリアを押しつける世界も最悪だ。そんなの気持ち悪いし、俺は嫌いだ。
 まだ、一個の悪人が物盗りのために人殺しするほうがましだ。そっちのほうが、まだましだ。まだ人間の顔をしたやつがいて、食うためにカナリアをしめるほうが、まだましだ。もちろん、誰もが誰をも殺さないのが一番だ。
 ちくしょうめ、俺は、おまえの鉄仮面みたいな面がだいっきらいだ! くそ、俺は頭が悪いから、こんなことしか言えねえんだ。俺はもっと強い武器がほしい。見えない銃? Amazonで買った金属バット? いや、一撃でおまえを殺せる言葉がほしい。いや、おまえなんか殺してなんになるもんか。そうだ、おまえのようななにかを殺せる言葉がほしい。ただそれだけなんだ。