電気事業は地域的に営業区域が決定せられて居り、電力販売地域が限られて居りますから、販売価格に付き自由競争は行われず、独占価格が供給せられるのであります。其処には事業の改革は等閑に付せられ、為政者との結託による販売区域の獲得のみが専念せらるる結果となります。資本主義産業を弁護する理由の最大なる理由たる自由競争による産業の改良進歩と云うことは毫も省みられず、暴利を是事となすに至り、資本主義の最悪なる形のみが存して、其の優秀なる部分は存しないのであります。
……官府の廊下は資本家の軒下に直通して居ります。全然官許式でない産業様式を執っている国、自由産業の国に於いては官吏が出て営利会社の重役となっても別に社会を涜することはないと申し上げてもよい位でありますが、我が国の如く官許の産業方式の国では之が背徳行為なりとして却けらるる様な風習ができ上がらないならば、その害毒は計り知ることができないのであります。
まったくその通りだ。電力会社に自由競争無く、天下りは横行し、監督するものとされるものが一体化し、不当の富を得て、さらにはあらゆる事業の根底にあるべき人命に関わる安全ですら蔑ろにされている。今、現在の、日本の電力政策、原子力村はここに述べられている通りではないか!
……と、これがいつ誰によって述べられたかといえば、1932年(昭和7年)、五・一五事件の裁判におけるwikipedia:綱島正興の弁護であって、弁護されているのはwikipedia:権藤成卿である。というわけで、俺は昭和の農本主義思想家? 制度学者? 右翼? 革命家? のwikipedia:権藤成卿の伝記を読んだのであった。上に引用した部分は弁論中にあらわれる権藤の革命思想の中核というわけでもないのだけれども、まあなんというか、これを読んで2012年昨今のことを思わずにはおられんかったのだった。
反明治維新だ!
で、一気にすげえ飛躍してなんとなく俺が思い浮かんだこと書くと、2012年昨今、維新だの船中八策だのよう流行っているけれども、必要なのはむしろ明治維新によって建てられた明治国家、これをベースとしている現状ではないのか、ということだ。維新というなら、昭和維新を見ならえ。現状に悪いところがあるのならば、過去に敗れ去ったものの中に正解がひそんでいるやもしらん。反現政権? 反55年体制? 反Y・P体制? いや、反明治維新、反近代化、これだ!
……って、どれだよ? 徳川家に大政奉還かよ? わけわかんねえな。でも、権藤成卿にしろ、明治政府が日本古来の社稷を破壊し、農を破壊し、このありさまじゃねえかってところがあるし、それゆえにその有り様を故郷に持つ青年将校たちから支持されたわけなんだけれども。
でもよ、だからといって、たぶん世界の歴史の中でもわりとあんまりなさそうなスピードで近代化して、いきなり白人の植民地にならんで済んだという意味では、明治政府のやりようは成功なんだろうし、それがうまくいってなかったら? あるいは大戦争の加害者にも被害者にもならんで済んだのか? それとも、もっと悲惨だったのか? それはもう、歴史のif、SFの話になってしまうのかもしらんし、想像するには大きすぎる分岐点だろう。つーか、反近代って、もう、モダンすらポストがついてんのになんなんだよって話だよ。
ただよ、あー、よくわかんねえけど、結局、権藤が反発した国家統制の方へ方へと大日本帝国は走っていって、あのざまになっちまった。
……為政者が非常時といい、国策という名目で国民に困窮生活を強いることは、民衆の意志をないがしろにした、天に唾する行為である。権藤にとって、あくまでも、民衆の衣食住男女関係の満足なる充足なくして、国威の発揚も非常時も考えられないことであった。
「国民大衆が自己の利益のために選出したこれらの代表者(衆議院議員)は、国民大衆を生活苦のドン底に押し入れながら、尚お且つ政府と協力し、非常時と称し、統制、統制と連呼して、国民大衆にこの上の困苦艱難を強制せんとしている。これはどう考えたらいいであろうか。統制政策について、現在、国民生活の安定線に副うべきことが、為政者によって強制されている。だが、国民生活不安の原因である社会的生産組織の矛盾が、解決されない限り、如何に国家的統制が進行しようとも、国民生活の安全は永久に望まれないのである。」
で、この本と権藤成卿についての感想
で、順序とかどうでもいいけど、この本と権藤の概略は、松岡正剛がなんか書いてるからいいや。
俺の感想としては、今まであまり省みられることのなかった権藤をきちんと紹介しよう、ちゃんと文献とか一次資料に基づいて追っていこうという印象で、前半とかわりと権藤自身については退屈な感があった。むしろ、権藤がかかわった黒龍会や一進会の人物に興味が飛んだりする(そのへんは別に興味を持ったのでいずれ。とりあえず大川周明の自伝読み始めた)。権藤自身の言葉はあまり引用されない。が、ラストの方でグッとラディカルでヤバイ感じの権藤老の思想が示されて、おお、すげえなって思った。ああ、そこが、松岡正剛の言う「が、本書の著者は権藤の思想をけっして論評しない。わずかに孟子の伐放論に傾倒していたことを説明するだけだった」というところか。本書冒頭に載っている権藤の漢詩。
廃帝無威神不霊。犠羊頼免大庖刑。
擲来文繍一回首。草色連天万里青。
孟子が権力に対する民衆の抵抗権を肯定したというところ、鼓腹撃壌を理想社会とするベース、そこんところから、この過激な……って、このままだと意味わからん。
廃帝威なく神霊ならず。犠羊頼(さい)わいに大庖の刑を免る。
文繍を擲ち来たって一たび首を回らせば、草色天に連なりて万里青し。
というか、著者がつけてくれた書き下しよんでもいまいちわからん。まあ、この本には往々にしてそういうところがあって、決して一般向けじゃねえのだろうし、俺の学がないがもんだいか。あと、なんつーか、権藤のベースに漢学があるからな、つーか、このころの知識人は。中国や朝鮮から避難してきていた革命家とのやりとりも、漢文の筆談だったというし(革命関係については焼いてしまったとか、「漢詩書いたんだけど、韻の発音あってるー?」「いいんじゃね」とか、そのあたりも詳しく載ってたが)。でもまあ、なんかこう、たぶん、戦前の、なんか言えば不敬、不敬、言われるなかで、おおよそ天皇に否定的な文言並べて、文繍っちゅうのは爵位や勲章のことだというが、それを擲ってって、反抗精神だよね、みたいな。あ、よくわかんないとこ引用しちゃった。まあいいや。つーか、権藤思想については、その弟子筋とかのまとめみたいなもんが紹介されいて、それわかりやすかったね。血盟団の若者にドスの使い方とか教授してるあたりとか。右手(利き手)で振り回すな、左手で自分の腹を刺すように構えろ、ピストルも一緒だ、とかな。超接近戦の実戦戦術だよな。『南淵書』に書いてあったんだろか。
まあいいや、最後に、またなにか現代を思わせるところもあるような、権藤の文章の孫引きを。権藤の本は黒色戦線社から出ているらしいし、図書館にもありそうだからいずれ読むかもしらんが、めくってみてむつかしそうだったらやめる。
永久不変の常理とか、絶対の恒則とかいうものは社会には存在しない。社会は常に進展して熄む暗なく、その社会の進展に伴って常理も恒則もまた変化し進展する。前の時代の是としたこと、利益としたことは、次の時代には必ずしも是でなく、利益でもない。関東大震災を経験した人は、九月一日以後、引き続いて大小の地震が襲ったことを記憶して居るであろう。引き続いたかかる地震は、普通「ゆりかえし」と呼んでいる。反動という字句は、本来かかる「ゆりかえし」を意味したものであって、動きに対しての反作用を指して居るのであるが、現在一般では、進歩的な動きに対する反対作用の意味に準用して居る。時代が推移し、変化したにも拘らず、かかる変化、推移を肯定せず、旧状を強いて維持しようと努力するとき、ここに初めて反動的立場がとられるのである。旧状を強いて維持しようとすることは、所謂「現状維持」のことであるが、かかる現状維持の目的をもって、復古的見解が主張されたり、尚古的運動が実行されたりしたならば、これはいうまでもなく、反動的見解であり、反動的運動である。これに反して、現状打開のために、復古的見解が主張されたり、尚古的運動が実行されたりしたのであれば、それは「現状維持」の「静」に対して「動」を意味するものであり、かかる主張、実行を指して反動的ということはできない。本来は吾等の物なりという無産政党も、その主張の是非は別として、現状打破である限り、その主張なり実行なりは、反動ではなくて「動」である。現状の維持か、その打破かが、現在では「動」か「反動」かの別れ目になっている。而も前時代の基準は既に現代の基準となることはできない。かかる時代こそ変革の時代と呼ばれ得るのである。
……いや、なんやろうか。これを何主義と言っていいのか。権藤は妹を通して大杉栄と交友もあったというし(大杉虐殺について内田良平が肯定的な発言をしたということで、袂を分かったりしている)、単なる復古主義じゃねえよなとか。ある意味で、反動と区別されるべき「保守」のようでもあり、一方でとくに左の革命だからといって否定するようなこともなく、どっちにしろ「動」で、現状がおかしいんだって認識で、「動」を肯定してんだからな。このへんとか、なんか東洋思想から来ているところもあるだろうし、なにかしら興味深い。ようわからんが。そんじゃ。
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- ひょっとして安岡正篤ってすげえかも〜『近代日本の右翼思想』から - 関内関外日記……そんで、この本をまた読み返したいとか思っても、借りた本なので手元にないのが辛い。権藤も金鶏学院の講師だった。
- おれの昭和史と『〈民主〉と〈愛国〉』 - 関内関外日記……この戦後の本の序盤で執拗に説明されていたことの一つに、当時の都市と農村との格差、反目があったっけ。