ええっ、最高だと思う小説を3つあげなきゃいけないのかい?

 たまにこういうまとめなんか見つつ「おいおい、それでいいのか」とか「あ、このこんなに有名で名作とされてて、たぶん絶対面白いであろうやつ読んでねえや、俺」とかお気楽な高みの見物なんだけれども、その切っ先がいざ自分に突きつけられるとなると嫌な汗が出る。
 やっぱりこう、「これでどうや!」という、なんつーのか寿地区の外れでドヤ顔したいって、見栄張って、「センスいいね」とか思われたいみたいなところがまず出てくる。それなりに本をお読みなんですのね、とか言われたくもなる(まあ、そんなに読んでいないのだけれど)。
 さらに、たとえば3つとなると、走攻守でそれぞれバランスを取るのかみたいな、そんな話にもなる。わりと万人にも勧められるものを1つ。多少趣味的なものを1つ、読んだ奴いるか? みたいなの1つみたいな。あるいは、純文学的なの、ジャンル的なの、あとは地域、たとえば南米あたりからひとつとか、そんな布陣を考えたりもする。攻撃、防御、安全牌。
 あとは、「この作家すげえ好きだけど、本単位だと」みたいのとかな。それと、小説といっていいのかどうかわからん、みたいなあたりの扱いとかにも頭を悩ます。この作家は特別な箱に入ってるけど、最高の小説と言われるとどうか、みたいな。
 で、最後に出てくるのが、老化というには早いかもしらんが、「いったい俺ってなに読んだことあったんだっけ」という記憶の壁の出現である。これが恐ろしい。しばらく唸って3つあげてみて、実はそれどころじゃない最高だと思うやつをすっかり忘れてるんではないかとか、そういう不安である。あと、タイトルとそれが最高だったと思ったことは覚えていても、内容があまり思い出せないようなのもあったりして、自信がなくなったりもする。
 と、ここまで書いておいて、だいたい3つ挙げないでエントリ終わらそうという気は見え見えのところを裏切って、ちょっとやってみる。

さようなら、ギャングたち (講談社文芸文庫)

さようなら、ギャングたち (講談社文芸文庫)

 高橋源一郎の『さようなら、ギャングたち』。第一にこれである。これはともかく外せない。俺はそもそもなぜか小学生のころからフィクションの小説を馬鹿にするようなところがあって、かといって四書五経を読みふけっていたわけでも当然なく、漫画とゲームとエロ本に明け暮れていたのだけれども、「あ、小説すげえ!」って、わけもわからずすげえなんつーか、すげーってなって、まったくすばらしいと思う。

 問題は、次以下
(と、以下だらだらと自分内選考会を行ったけどけっこうな量のテキスト削除してアップ。知るか!)