俺は身も蓋もないなにもない話が好きだ


 タコが陸に上がって人を追いかけてカニを置いて帰る。
 よくもわるくもなにもない話である。いや、正確には生物学的にタコの生態が云々みたいなところもあるには違いないだろうが、それは置いておこう。あるいは、なにかしら神話や童話、説話、そんなものをでっち上げようとすればできるかもしれない。しかし、すくなくともこのあけすけで身も蓋もなく「タコが陸に上がって人を追いかけてカニを置いて帰る」だけの動画を見る限り、そんなこと考えるのもばかばかしくなるような気になる。なにせ、タコがぬたぬたと這い寄ってきて、なぜかカニを置いて、しかも帰ってしまうのだ。これの感想文を課せられたとしても、「タコがぬたぬたと這い寄ってきて、なぜかカニを置いて、しかも帰ってしまったので不思議でした」と、あらすじでほとんどを埋めてしまう小学生のようなものにしかならぬ。それがいい。
 かといって、俺はふだんなにも考えていないのかといえば、そうでもない。たとえば、うちの近所にはよく大形の柑橘類が転がっていて、それが自動車に潰されて気持ち悪いことになっているのもよく見る。すると、脳は勝手に「このあたりの庭木の傾向」であるとか、「そういう家に住んでいる年齢層」であるとか、「高枝切りバサミの通販番組ってまだやってるんだろうか?」、「収穫する気がないのかできないのか」、「収穫する価値がないくらい味が悪いのか」、「いや、ナツミカンだったりしたらまだまだ収穫は早いぞ」、「こないだヒヨドリがザクロの実にくちばし突っ込んでるの見たな」、「関内駅近くのヤマモモとか落ちて潰されて歩道が汚くなるから、だれでもいいから収穫すればいいのに」、「そういえばこのあたりでアボカドの実が露地植えで成るのは珍しいらしいから写真とっておこう」、「つーか、食えない人間がこんなにいるんだから、街路樹とか簡単に食べられる実をつけるものにすればいいのに」、「だいたいソメイヨシノの並木とか面白くないし、実のなるやつにしろよ」、「でも、食べられるようにするためには手入れが必要だし、そうなってくると育てたのものみたいになるな」、「あ、これが農業や私有財産のはじまりか!」、「しかし、行政は一度植えた造園樹木とかを資産として勘定するから、展望台とかで風景の邪魔になっても伐ろうとしないし、ソメイヨシノとかにしたっていっせいに枯死して困ることになる」、「各人が小さな、自分が食えるだけの作物を育てられる土地が必ず与えられるようになればいいのにな」……云々。
 人の頭の中の調子というのはよくわからんが、俺はこんな具合で、こんな具合のことを書きながら、さっき書いた「ぬたぬた」の擬音語だか擬態語だかから「ぬた」について東海林さだおが書いていたいいコラムがあったな、とか意識は飛んでいて、いい加減にしてほしい。
 タコが陸に上がって人を追いかけてカニを置いて帰る。
 俺はあまりなにも考える気がしない。
 悪くない。