さて、帰るか。


 日ごろから自転車もしくは徒歩通勤で駅や電車のラッシュとは無縁、人ごみに紛れるような趣味もなく、医者といってもメンタルヘルシーなところにしか行ってないので、総合病院のようなところに行くとあっさり風邪をもらってかえってくる、……というのが正しいかどうかわからんが、心電図計つけてる間も咳がひどくて、今日も咳がひどくて、いちいち頭と腹が痛いくらいになっている中で、仕事の難題(ほんとうに小さなことなんだが)とかでうつらうつらもできず、咳止めと抗不安薬の二択から咳止めを選んで、まあ動悸や不安心というよりも咳がいちいち殴りかかってくるようなもんで、しかし咳ていどでこんなにダメージを食らうのも加齢というやつなのだろうし、ものすごく疲れている。こんな状態で三連休とか言われても、「お前に風邪を治す権利をやる」というだけで(なんかこういうケース多いような気がする……)、まあともかく止まらない咳がきつい。ただ、咳に心を奪われている間は不安心から解放されているという気もする。シモーヌ・ヴェイユは頭痛のときになにを考えていたのだろう? 「頭いてぇな、クソが」って思ってたんだろか。たぶんそうだろ。おれの身体とかいうものは脳を含めてなぜおれにコントロールされないのか。まったく、科学は不十分だし、世界に必要な鎮痛薬すら供給できちゃいない。ぜんぜんなっちゃいない。出来損ないだ。まあ、おれくらいの後光さすような偉大な人間が世界創造を手伝ってやれば、七日と八日くらいでうまいこといくのは明々白々で反論の余地もないのだが、おれにはおれを世話するの手一杯だから、その手柄はほら、そこのお前にやる、うまくやってくれ。せいぜい、うまくやってくれ。くそ、こんなに頭が痛くちゃ、酒も飲めねし、晩飯も食えねえよ。帰ったら入眠剤でおやすみだ。まったく。