人生のスタートラインに立ててすらいない人間の言うこと

 

寄稿いたしました。

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読みましたか? 読んだのですね。読んだのならばよろしい。

というわけで、おれは歯並びが悪く、という以前に日記を書く。月曜日は普通に出社して、仕事して家に帰って、寝た。火曜日、抑うつ状態で身体がまったく動かなくなって、午後三時から出社した。翌日、同じ。木曜、今日、昼頃いけるかと思ったら、頭痛、噴嚏、風邪の症状。風邪薬を飲んだらさらに頭がボーッとする。これはもうだめだと思い、休むことにした。そして、今。

今も、調子は悪い。今日もほとんどベッドの上で過ごした。ベッドの上でなにをしていたのか。なにもしていない。本も読めない。音楽も聞けない、スマートフォンを触る気すら起こらない。ただひたすら固まっているだけだ。時間だけが過ぎていく。どこが痛いというわけでもないし、痒いわけでもない。ただひたすらに身体が動かない。これを体験したことがある人とない人では、決定的な違いがあるかもしれない。むろん、ないに越したことはない。

夕方シャワーを浴びて、カップ焼きそばを食べた。頭の回転が鈍化しているので、どちらもすごく時間がかかる。しかし、さすがにカップ焼きそばにお湯を注ぐ前にソースを入れるようなミスは起こさなかった。おれがどれだけ「がつ盛」食って生きてきたと思ってるんだ。そのあと、またベッドで横になったりして、少し動けるようになったので鍋など作って食った。

で、おれは上の記事で、「歯が噛み合わないことで毎時毎秒損をしているかもしれない」というようなことを書いた。ちらっと、精神障害についても書いた。だが、いまこの瞬間のおれはといえば、やっぱりこの精神障害のことを書きたくなってしまう。突然、予告もなしに訪れる抑うつ。これによって半日、一日が潰れる。その後も、すぐに躁転してしゃっきりという場合ばかりではない。脳の働きが鈍化するのが続くこともある。

人が、なにか頑張ったりする、自分を高めようとする、そういう競走というものがあって、現代資本主義社会において、人間はアリスのあれのたとえみたいに走り続けなければいけない。だが、どうもおれは、そのスタートラインにすら立てていないような気がしてならない。なんかプラスに持っていく前に、スタートラインに立てていない、と。

この思いは小さな頃からあった。小さな頃のそれは、自分の背が低いということに起因していた。いずれ、背が伸びて、普通になったら、スタートできるんじゃないかと思っていた。結局、背はずっと一番小さいままだった。そういうコンプレックスもある。むろん、歯並びの悪さもコンプレックスだ。

そういう周囲への劣等感から、ひどく嫌われる人間になってしまい、いじめられもしたし、孤立もした。人間と仲良くできない人間になってしまった。その後の人生の転落も約束されていたものだったといえる。

今現在になっても、なにも取り返していないし、それどころかスタートラインに立つこともできない。いろいろと人に劣るおれの肉体や精神というものに加えて、収入という資本主義社会でもっとも重要視されることについて、おれは下の下だ。たとえば、婚活というようなものがあるとして、おれは身長が低い上に金がない。マッチングアプリや結婚相談所を使う金がない。着ていく服もない。なにより身長がないし、金がない。歯並びも悪いし、精神が腐っている。見どころのまったくない人間だ。いつも無駄に緊張しているし、不安感に苛まれている。集中してものごとを考えられないし、なにか行動することもできない。自分に餌をやるのに精一杯で、部屋も荒れ放題だ。精神と同じくらい荒みきっている。おれには安心というものがないし、人間として年相応の経験を積んでいない。仕事をしていてもずっと一番の下っ端の仕事を繰り返すだけでここまできてしまったし、高卒だし転職もできない。身体能力もないので力仕事はできないし、なんの資格もない。なにかの資格をとるための勉強をするだけの気力も時間も金も集中力もないし、もうこの年齢でなにかしたところですべてが遅い。おれはおれの人生の主導権を握ることなく、流されるままに流されて、この地獄で溺死する。確実に生まれてこないほうがよかった。おれに価値を見出すのはむずかしい。おれは安心したことがないし、スタートラインに立ったことがない。なにも始まらないまま、終わりを迎える。なにもしないわりには、嫌なことばかり起こるし、自分の身体が整っているという自然体というものもなく、嫌な感じを常に身にまとって、ひどく長く苦しまされているような気がする。肉体は老いてさらに不愉快なことは増していくだろうし、なにか好転する兆しも材料もない。おれは負け犬だし、なんであんたはおれを殺してくれないんだ?