おれの空っぽさはすごい

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たまには自慢話をする。おれのなにがすごいって空っぽなのがすごい。足場になる知識の体系もない。体で覚えた仕事の腕もない。この歳になって、人さまに向かって提出できる「なにか」がない。これで息をして人間の言葉などしゃべるのだからたいしたものだ。これぞ高卒→ニート→会社員? という生き方をしてきた人間というものだ。社会人になった自覚もなく時だけが過ぎた。あるのは小手先のごまかし、その場しのぎ、門前の小僧の読経。これで世をわたっていける、なんとかなるという度胸もない。それでも飯を食えてるのは、崖から落ちていく小石が、たまたま運のいいところに引っかかっただけだ。少し揺れたら落ちて死ぬ。落ちて死にたくないし、運のいいところなど他にないからいくらでも長時間労働をする、精神疾患になっても働く。空っぽなのだから仕方がない。

しかしまあ、よくも空っぽなものだ。趣味についてだって、これというものがない。大局から些事まで見通せる分野がない。おそらくは、こちらの空っぽさも、おれの財布の空っぽさに通じているように思える。

例の化学者のことを上っ面だけだ、虚力だ、などといわれると、おれのようなものはなんなのか、という話になる。おれには化学のことはてんでわからないが、あれだけのキャリアを積んでいくのに、やはり足場となる基礎知識(それがあのクラスにしてはたいそうお粗末なものだとしても)があったのだろうと思う。空っぽではなく、なにものかが充填されていたのだろうと思う。せいぜい人類というのが共通項というていどの、階級の違う人間同士の話だが、そのように感じる。

自慢話をするといったのに、自慢ではなくなってきた。なにか「空っぽ」のよさをアッピールしておくべきか。……といったところで禅のある種の境地に達したわけでもなければ、夢をたくさん詰め込めているわけでもない。なーんにもないんだ、これが。おれと面と向かって話す人間は、おれの空っぽさ、薄っぺらさに驚くにちがいない。この空虚さというのはなかなかのものだが、なかなかのものゆえに活かしどころがない。だれかを感心させることもない。

今から「なにか」で自分を充填しよう、という気にもならない。そんな気力があるなら、とっくにやっている。それに精神疾患もある。精神疾患のせいにすれば、上等な言い訳にはなるだろう。それが正しいシック・ロールなのかは知らない。おれにできないことはできない。