自分が精神疾患者になってから、「精神疾患者は議員になれるのか?」という疑問はつねに抱いていた。その一つのかたちが、水道橋博士の辞任にあらわれたのではないかと思う。
……というようなことを寄稿いたしました。
さて、これはここで、「いろいろな属性の国民のそれぞれの代表者が集まって国会議員をやる、という一つの側面」と書いた。
国会には、いろいろな属性のある人間が集まって、お互いの利益調整をして、全体的にハッピーにしていこうという場という側面があるはずだ。
側面と書いたのには理由がある。もしも各職業や属性の人間が集まって、はたして政治ができるのか。政治知識が全くないが、茶畑の土壌改良について博士号を持っている人間が茶畑の土壌の専門家の代表として国会議員をやれるのか、という話だ。もっとも、その属性では国会議員になるだけの票は集まらないだろうが。
というわけで、やはり政治屋といってはなんだけれど、政治を知っている人間が必要だ。あるいは国家運営、行政に携わってきた人間も必要だ。そういう専門知識を持った人間もいるべきだ。
と、ここで唐突に言い出すけれど、衆議院は政治や法、行政に通じた人間ばかりを集めて、参議院は各界の代表者の集まりにしてしまうというのはどうか。
衆議院議員になるには科挙みたいなテストを通る必要がある。そのくらいのハードル。一方で、参議院は衆議院のカーボンコピーのような現状ではなく、地方ごとの代表なんてやめて、IT業界の代表、農業の代表、漁業の代表……まさに族議員だけで構成する。当然、性的少数者の代表、身体障害者の代表、精神障害者の代表なんてのも入ってくる。ガーシーみたいな「よくわからない人」の代表も一人くらい入っていいだろう。当事者の院だ。そっちのほうが、まだ二院制のある意味があるんじゃないのか。
と、ここでまた「精神障害者の代表」と書いたが、精神障害者の代表は「当事者」であるべきか、という話にもなる。ひょっとして、精神疾患者を十万人診察したことのある精神科医のほうがふさわしい、という可能性もある。農業の代表にしても、自分は土いじりもなにもしたことはないけれど、JAかなにかで農業にたずさわってきた人間というのもいるだろう。
当事者性とはなんだろうか。LGBTQの当事者、というのであれば話は早い。もしもLGBTQのメンタルケアを十万件やってきた当人はそうではない精神科医が「代表」になることは考えにくい。
しかし、精神障害者が働くのは厳しい。国会のような場所で働くのは厳しい人間は山ほどいる。ならば、それについてはそれに関わる専門家が代表として出るべきなのだろうか。とはいえ、それは各界の代表といえるのか。政治と当事者性、問題はここにある。
たとえば、おれは双極性障害の一人の当事者だが、すべての双極性障害を代表するような症状を持っているわけではない。むしろ少数派の症状の出方をしているかもしれない。これをさらに押し広げて、べつの精神疾患についてとなると、当事者でもなんでもなくなる。
とすると、やはりいろいろな種類の精神疾患者を何十年も診察し続けたり、支援してきた人のほうが「代表」にふさわしいのだろうか。
おれにはちょっとよくわからないし、そもそもこの参議院の話も仮定の話だ。ただ、当事者が政治をすることについては、いろいろ考えるべきところがあるようだ。
以上。