『米軍が恐れた「卑怯な日本軍」』を読む

米軍が恐れた「卑怯な日本軍」―帝国陸軍戦法マニュアルのすべて

米軍が恐れた「卑怯な日本軍」―帝国陸軍戦法マニュアルのすべて

・マキン作戦の際、夜明けに非武装日本兵が礁湖岸の上に現れて「起床ラッパだ、みんな起床しろ! 起床ラッパだ!」と叫んだ。マキンでは、日本兵が「おい、チャーリー、俺の相棒はどこだ?」とも叫んだ。

 副題は「帝国陸軍戦法マニュアルのすべて」。まずアメリカ軍の兵士向け対日戦用マニュアルの紹介があり、つづいて帝国陸軍の中国戦線の戦い、そして対米戦法の紹介と続く。
 ものすごく簡単にまとめてしまえば、火力で勝っていた中国戦線で、敵方がやってきたことを、対米戦では日本軍がやらなきゃならなくなった。また、同時にそこには敵に対する差別的な視線(「卑怯」)があるんだぜ、というあたりか。そしてまあ、戦いは数だぜってところだろうか。火力に劣れば劣るで、それでも戦わねばならぬ悲哀があると。『遊撃戦論』でも読もうと。
 で、おれにとって一番興味深かったのは、第一部だろうか。アメリカ軍の対日マニュアルだ。「日本兵はこんな卑怯な手を使ってくる」みたいな実例が沢山紹介されているのだが、「本当かよ?」というようなものもいくつか混じっているように思えてならないのだ。 
 だから日本軍は卑怯じゃなかった……とか言いたいわけじゃない。優位に立っていようがいつ死ぬかわからぬ兵士、敵を見たら殺さねばならぬ兵士、その極限状態で見る幻のようなものがそこにはあるんじゃないかという、そこである。その闇では英語を巧みに操り混乱させてくる日本兵も、三日三晩野営の近くで身をひそめる日本兵もいる。いや、実際いたかもしれない。そういう事例が確かにあったのかもしれない。ただ、おれの想像は、人間の恐怖というものが、ありもしない声、敵味方の誤認、そんなものを生み出すこともあるんじゃないかという、そこに飛んでしまう。変な話だが、『遠野物語』が思い浮かんだりもする。闇が生み出すなにか。あるいは、水木しげるラバウルで見たか感じたかしたものか。
 と、むろんそのあたりはおれの想像の話だ。どうしても、追い詰められた一個の人間の心理に考えが飛んでしまう。本書は大量の参考文献から上層部の事情まで綿密に書き上げられている本だ。あるいは、日本の陸軍の評価に関する、長きにわたる論争かなにかがあって、そこに一石を投じるものかもしれない。おれにはよくわからないが。
 あと、最後にひとつ。『日本軍ハンドブック』という米陸軍省が1941年に発行した解説書にこんな記述があったという。

 日本軍をはじめて見た外国人はそのだらしない行軍、服装、軍人らしからぬ行動のせいで彼らを誤解しやすい。装備に光るものはないし、戦術の理論的長所もない。しかし、耐久力と実行力は優れている。一日に四八キロを“だらしなく”行軍して、驚くほど少ない落伍者しか出さずに目的地へ定時に到着する。

 なーんとなく、労働時間は長いのに生産効率が悪いとか言われる今の日本を思い浮かべたりするんだけど、どうかしらん。まあ、軍は定時だし、ちょっと違うか。まあいいや。
 あとは、戦車の「短切闇討射撃」だとか、低空飛行してきた敵の戦闘機を地雷でふっ飛ばした例があるとか、そんな話もちらほらあった。おしまい。

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……おれの妄想も妄想じゃないよ、みたいな。

……この映画のことも思い出したりな。