なぜ、おれは数学で赤点を取らなかったのか?

 先生が黒板に次々と問題を書いていく。当てられた生徒が答える。答えられた生徒は教室の端の方へ移動していく。おれは自分の番が来るのをただ怯えて待っている。いよいよおれの番が回ってくる。黒板を見やる。数字が書いてあるのはわかるが、いったいなにがなんだかわからない。教師が、どこがわからないのかと聞いていくる。おれは、なにがわからないかすらわからない。まったくわからないと答える。そんなことでいいのか、どうするつもりだ、と教師はなじる。自分はベンゾジアゼピンなど服用しており、わからないことに対する不安感すらないです、などとしどろもどろに答える。それは甘えじゃないのかと教師。そう言われると立つ瀬がありません、とおれ。
 ……そんなところで目が覚めた。こういう夢をいまだに見るか。いや、きっともっと歳をとっても見るものだろう。
 それにしても、だ。おれは算数、そして数学ができなかった。悪夢に出るくらいできなかった。とはいえ、中高通じて赤点(34点以下で追試というシステムだったと思う)をとった覚えもない。40点くらいでなんとか切り抜けてきたということだ。
 あらためて考えてみると、相当に不思議だ。なぜ、おれは数学で赤点を取らなかったのか。あるいは、物理でもいいが、なんとか切り抜けてきた。カンニングをしたような覚えはないし、そもそも数学にカンニングもないだろう。もししていたら、そんなスリリングな記憶忘れようがない。よくわからない。ひょっとすると、冒頭の簡単な計算問題をいくらかやれば、ギリギリ赤点は回避できるような、絶妙のバランスで問題が作られていたのだろうか。しかし、それにしたっておれは、いくら公式を丸暗記しても掛け算や割り算を間違って明後日の答えを出すタイプの人間だ。不思議なことだ。
 まあ、いずれにせよ、こんな年齢になっても悪夢を見させられるような教育というのはなにかしら間違っているし、学校というやつは必要なのかと言いたくもなる。もし、自分の死というものが眠りからの移行であるとするならば、せめて数学の夢を見ながらというのだけは勘弁してもらいたい。