読経のあとの説教で、「さっき合唱した『正信念仏偈』の中で道綽禅師が言うに、先に亡くなった人は後に生きる人を導くとおっしゃってるから、お前ら法要は重要、そこんとこ覚えとけよ」みたいなことをお坊さんが言う。おれ、手元に配られていた冊子に素早く目を通す。
道綽決聖道難証 唯明浄土可通入
万善自力貶勤修 円満徳号勧専称
「自力で修行してちゃは浄土に行けねえ。おれは自力を貶しすらする。ただ南無阿弥陀仏を唱えろ」って言ってんじゃねえのか。なんというか、浄土真宗のベース的な話を。ここじゃねえのか。このあとに続く部分か? よくわからない。かといって、「質問があります!」と立ち上がるほどおれも目立ちたがりじゃあない。それに坊さんが単に七高僧のだれかとちょっと間違えただけかもしれねえ。お祖母さまの三回忌に奇行はしない。
むしろ、弟という一応の会話できる人間が欠席している場で、おれは壁にならなきゃいけない。日本シリーズの阿部のバッティングみたいに冷えて目立たたないようにしなきゃいけない。ある従姉妹は小さな二人の娘を連れてきていた。そこから溢れ出る幸せの光を浴びてはいけない。参加の仕方がわからない。ある年下の従姉妹の急の結婚宣言に拍手を送って、とくに語りかけたりしてはいけない。
……いけないわけじゃない。いけないというより、できない、のか。生活の階層が違う。幸福の総量が違う。なにか言ってボロが出てはいけない。早く落ちぶれた人間は壁際でノンアルコールビールを飲む。ノンアルコールビールの瓶にはハンドルキーパーのシールが貼ってある。おれは薬のせいでハンドルを握れない。そもそも車を持っていない。世代の交代が始まっている。始まらない、始まらないと思っていたら始まっていた。おれはといえば「孫とかそういう話はないです」と答えるばかり。二回り年上の女と付き合って十年以上になると言ってどうする。イカをつかんだだけで盗んではいない。先がない。雨は降る。やがて止む。祖母は晴れ女だったとだれかが言った。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南。
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