人生を静かに降りる階段があれば

どこかふるめかしい町の一隅で
しずかに盃をあげ、
おもうことなく死んでゆく
そんな夜がいつか、僕を待っていてくれるにちがいない。
それまではあくせくするより他はない。
「渇きのコメディIV あわれなものおもい」ランボオ/金子光晴

 おれはいくらかあくせくしてきたかもしれない。もう疲れて久しい。運良く食いつないできたといえるのかもしれない。そして、おれの希死念慮はきわめて脳みその一角で正常運転をつづけている。最近では脳に効く薬を放り込んで身体をようやく運転している。べつに酒でもかまわない。いずれにせよ、疲れた。10月の終わりころから仕事が増えてきた。それとて一時のこと。半年、一年、五年先を思えば死ぬことしか思い浮かばない。疲れたからだ。しずかに、迷惑をかけないように死ねればと思う。脳に効く薬のお陰で、世間様に害をなすという発想はないので安心されたい。
 とかくこの世は、おれの能力、資質に対してハードルが高い。うんざりする。生かされているのも偶然にすぎない。おれは偶然を信じない。それに疲れている。人生を降りたいと思っている。回し打ちをする気もない。べた降りだ。上家が三筒を捨てたらおれも三筒を捨てよう。早く流れてくれ。流れないならだれかがおれを殺してくれ。対面のあんたでもいい。おれを飛ばしてくれ。おれは飛びたいんだ。まったく自由に。
 うまい人生の降り方、というのがわからない。だからビルから飛ぶことに直接行き着く。成功譚は必要ない。大転落からの成功なんてもっと不要。地味で低いところから、さらに一歩一歩たしかな足取りで人生を降りていく、そんな話があればいい。不幸なことに、周りを見回してもうまい具合に降りていく人間というものが見当たらない。自殺の話は何例か聞いたが。何事にも先達はあらまほしきことなり。静かなる敗北者の先達は口を閉ざすか語らぬか、それともそんなものはいやしないのか。
 本音をいえば死にたくなんてありゃしません。代わりといってはなんですが、二級市民みたいなものにはなれませんでしょうか。選挙権もいりやしませんし、移動の自由も必要ありません。迷惑はおかけしません。ただただおとなしく息を吸うて吐くだけでございますので、パンとスープと交換できる券をいただけませんか。なに、無用のものに使う、そんな財源はないとおっしゃる。さようでございますか。
 となるとやはり、階段をいくらか下ったさきから飛ぶことになる。落ちる間にセーフティ・ネットなんてものはありゃあしないのだろう。あったとしてもおれは隙間を落ちていく。おれは偶然を信じない。おれは疲れている。手を伸ばすのも億劫だ。思うことなく落ちていく、とはいかない。なんで落ちなくちゃいけなかったのか、そんなことは考えるだろう。この能力と資質で生まれてきた運が悪かった。そこに尽きる。世界はハンデ戦じゃない。まあおれはわりと軽ハンデの生まれだから、あるていどの先行はできた。そのリードだけで今はまだ生きてる。だけど思いだせ、あの日のオノデンリンゴ。いや、少なくともオノデンリンゴは一生懸命走った。おれとは違う。じゃあおれはなんのために走った。なにに向かって逃げた。そんなこともわかりやしない。
 人生を静かに降りる階段があればいい。二級市民のようなものがあればいい。おれは寒さに弱くなった。おれは寒いのはいやだ。不潔なのもいやだ。おれは偶然を信じない。おれはこの世に生きるのに適応した能力と資質がない。ただ黙して死んでいくのもごめんだ。おれはおしゃべりだ。機関銃のように愚痴と呪詛を吐きながら階段を降りてやろう。いま、こうしているように、階段の終わりまで。


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