生命は生きるべきなのか?
今朝はそんなことを考えていた。この超システムに「生きるべき」はある(プログラミングされている)のだろうか。「子孫を残すべき」はあるのだろうが、どうもそこに至ったあとはどうでもいいです、という代物のように思える。「子孫を残すべき」を逸した個体はどう生きるべきなのか。生命科学などというのはそのようなものに答えは用意していないだろう。勝手に生きろ、もしくは死ね。死ね、死ぬ。死ぬ? 死ぬことはきちんとプログラミングされているようだ。
老いと死。古くから人間は不老不死を願ってきた。……本当だろうか。位人臣を極めるどころか、大王だの皇帝だのならばそう願うのもわかる。おれは……SF的に地球の終わりを見てみたい、人類の行く末を見たいという好奇心もあるが、さてそれよりするりと死んでしまいたい気持ちが大きい。希死念慮に○をつける。お薬出しときますね。はい、もぐもぐ。
老いはどうだろうか。老いもプログラミングされている。老いもつらい。なすべきこともなく(子育てとか)、体は動かなくなり、脳も衰え、いっそう社会の荷物になるばかりだ。この世界というのはおおよそいつでも毎日地獄だが、その地獄がいっそう牙をむいて襲いかかってくる。四六時中、寝ている間も、目を覚まそうと、お前は無価値だと苛んでやまない。それが今よりいっそう! おれは自殺願望に○をつけかける。お薬出しときますね。はい、もぐもぐ。
なすべきこともなく老いて、死ぬまで生きる。これはそうとうの難関のように思えてならない。「なすべきことをなにか見つけるんだ!」、あるいは「もとからなすべきことなんてないよ、暇つぶしだと思ってなんにも考えなければいいんだよ」、いずれも正しいのだろうが、どうもおれは……苦手のようだ。前者が苦手なのは言うまでもないが、後者すら、なにか面倒な気がしてならない。
面倒といえば、生きるということが大変だ。ここまで書いてきたこと、油断しすぎだ。死ぬまで食える、老いても食える、ともかく、働こうがなんだろうが、食っていけるということが前提みたいになっている。食えるのか? 食っていけるのか? クオリティのあるライフでもって生活を過ごしていけるとでも? そんな悠長な局面におれはいない。生きるべきもべからずもない。生きるために食うために……働いて働いて、まだ働く場所があるだけマシというもので、クズに思考など無駄なのだ。
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