完全に鍛えられたカンガルーといった塩梅で、おれは戦う前から負けていた

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カールだかグスタフだか忘れたが、ハイチから来たというドイツ人が言うに、"今週のお題「冬の寒さ対策」"だとか。おれは言いようのない気分の沈み方をしていて、起き上がる気力すらなくって、それでもベッドから這い出てずるずると粘液を引きずりながら会社についた。「実はあの日、弟は仕込みでラーメンの具材を作るためシナチクを茹でていたんです」。人の人生というものは人が生きるものであって、おれのように背中に老い死んだ雌牛を背負っているようなものは獣臭いラーメンすら食べる資格も失って、家のない外で寝るものになるのだ。ものになる。人ですらない。その前に死ぬ。言いようのない重しが足を引っ張る。おれの足元の泥沼は関外を突き抜けて息もできなくなって、気づいたら南米の……。いや、陸地の裏側が陸地である確率は4%くらいなのだっけ。ほとんどは海、そこは海、海の底の近く、そこに原初の生命の名残を見た。社会的ダーウィニズムは元となる進化論が生まれたのと同時に、いや、下手すれば先行して誕生したといっていいのかもしれない。元気のないおれは虚ろに大根を切っていて左手の親指の先をスパッとやってしまった。大根やまな板が血に染まった。気にせずおれは雑炊を作りつづけた。血が止まらない。血がもったいないと思ったので、おれは親指をくわえて血を吸った。血の味というものがあるとすれば、それは血の味がした。おれの身体の中には血の味がする血が流れている。色は赤色。赤いグデーリアン。おれはグデグデと米を煮込んだ。パックのご飯。お恵みものだ。具材の缶詰、お恵みものだ。おれはずいぶんと食費で助けられている。お恵みがなかったらどうなっていたか。雑炊でなく鍋を食べているところだ。野菜のスープ、黒パンは無し。シナチクを自前で仕込んでいるなんて律儀なラーメン屋じゃないか。けれど絶望の焦土が残った。完全に鍛えられたカンガルーといった塩梅で、おれは戦う前から負けていた。負けていたのさ。目が弱点だ。女がデヴィッド・ボウイ回顧展ですっかりボウイ世界に浸って家に帰ったら、息子が「北極か南極だかで氷が溶けて古代の巨大鮫が復活して人々を襲う映画」を観ていたのでがっくりきたという。火星から来たスーパースターと北極だか南極だかから来た巨大鮫にどれだけの差があると思う? 火星にも生活がある。巨大鮫に言い分はある。おれも親指を切れば血が流れる。みんなそんな当たり前のことを忘れちまって、鈍色の空のもと、それぞれの農場に向かって歩いて行く。「案山子は歩かなくていいから楽だな」と呟いたイワンだかワシリーだかは地球の裏側の収容所に入れられたという話だ。たぶん、そこは海。海なんだ。海の底には高温の水が吹き出ていて、それがおれの寒さ対策なんだ。粘液を引きずるな、失敗を省みるな、ここで踊るな。この三つさえ守っていれば、人喰鮫に食われない確率が上がるって話だ。ラーメン屋のおやじがそう言った。店の奥にひっこんだおやじは、バイトのあんちゃんと「餃子にカラシはありかな?」、「ありじゃないっすか」みたいな話をしていた。その店のラーメンはいまいちだが、餃子はけっこういけるのだ。嘘だと思うなら、そう思ってくれて構わない。ただし、ここで踊るな。それだけだ。