生きるのに苦しいなにを食べていいかもわからない

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生きるのに苦しい。いまに始まったことではないのだけれど、苦しい。苦しさは増す一方で日に日に生きる難度は高くなっていく。人間、普通、経験を積み、生きることは楽になっていくはずだ。一般的にいえば、収入なども上がっていくはずだろうし、暮らしも楽になっていく。ところがおれはといえば、苦しくなっていく。双極性障害が、悪化しているということでもない。ただ、加齢がある、老いがある。同じダメージでも、こちらの基礎体力のようなものが弱まっていれば、相対的に、そういうことになる。

頭がまわらない、軽い倦怠感につきまとわれる、なにもする気がおこらない。部屋は散らかる一方だ。今は、こうやって文章を書くことすらつらい。おれが文章を書けないというのは、そうとうなことだ。おれにしかわからないことだが。

思うに、おれはおれの抱えている重さに、無駄に耐えてしまっているようにも思える。なんとか、生きてしまっているから辛い。もう完全にダウンしてしまえばいいものの、無駄に抵抗してしまっている。もっと弱ければよかったのにと思う。あえて不遜な物言いをすれば、おれは無駄に優秀すぎる。病気に不相応な性能がある。それゆえに苦しい。そうでも思わなきゃ、やっていけない。思ったところで、やっていけるわけでもない。

して、何を食べていいかもわからない。蒸し野菜用に買った電子レンジ対応の耐熱容器が思いのほか小さかった。十分な量を食えない。翌朝、ハンガーノックのようになって動けなくなることもある。

なので、うどん(乾麺)を買って、茹でて、一緒に食べたりしてみた。ただ、おれは夜に炭水化物を食べるのが嫌で、蒸し野菜を食っていたのではないか。本末転倒とはこのことである。

電子レンジ用耐熱容器については、諦めよう。だいたい、鶏肉への加熱も電子レンジでは時間がかかる。これではだめだ。雪平鍋で野菜を蒸す。肉も加熱する。それでよい。なぜ、うどんなど買ってしまったのだ。食ってしまったのだ。なんでおれは自分の食べるものすら決められないのだ。正解がわからない。どんどん生活というものがわからなくなっていって、生というものに執着しなくなって、死ぬときだけは相応に惨めな最期をむかえるのだろう。

死ぬときだけは、相応に。

 

 

1.3Lが意外に小さい……。