大気よりも軽やかで、力強く孤独な――
惑乱、私の妹、百頭女。
マックス・エルンスト『百頭女』
世界バルクホルン妹協会がいつ結成されたかは諸説ある。19世紀末のパリで生まれたというものもいれば、オーストリー=ハンガリー二重帝国下のモラヴィアにおける反政府組織がその発端だというものもいる。もっとも、20世紀初頭に帝政カールスラントにおいて結成されたという説が有力ではある。
……私はそのような話をペスト医師の扮装をした紳士から長々と聞かされた。
「会の規約は二つしか無い。一つ、バルクホルンおよび中の人を〈お姉ちゃん〉と呼ぶこと。一つ、エーリカは嫁であって妹ではないと認めること」
そこで私は「なにか会に入るメリットがあるのですか?」と聞いてしまった。馬鹿なことをした。ペスト医師の表情は伺えないが、あからさまに憤りを感じているようであった。乱暴に私の空のコップに一ノ蔵無監査本醸造甘口を注ぐ。気圧されるように私はそれを飲み干す。
「それで、その、妹協会ってのは……」
……私は気を失った。
気づいたときには遅かった。私はダブルベッドの上に縛り付けられていた。頭の中身がぐるぐるするので、私は辛うじて動く頭をぐるぐる同期させた。吐き気が増すばかりだった。
そんなことをしているうちに、例のペスト医師らしき男が、ベッドの傍らに立っているのに気づいた。
「お、おい、これはなんだ、た、助けてください」
私は怒りと哀願をもってそう言った。
「君の態度は許されないものだ。期待していただけに残念だ」
いかにも無慈悲というような口調でペスト医師は言う。
ベッドの頭の方に置いてあったカゴからアースジェットを手に取る。手に取ったアースジェットを4、5回振る。
「なに、なにをする気ですか?」
私は身体の自由を得ようと必死になりながら叫ぶ。
「わかりきったことだよ」
ペスト医師は吐き捨てるようにそう述べると、アースジェットの噴射口を私の顔面に、それも眼球に向ける。とっさに私がまぶたを閉じると、手袋をした手で容赦なくこじ開けてくる。
「なんというかね、これは非常に……残念なんだよ」
ペスト医師の指がトリガーにかかる。
私にはなにも為す術がなかった。
と、そのときである。ガシャーン! ドカッ! 非常口の曇りガラス扉が割れる音、そしてペスト医師に素早く近寄る人影。パン! パン! と響く銃声。ペスト医師の身体は力なく崩れ落ちる。
「間に合ったようで何よりだ」
リボルバーを脇の下のホルダーに入れながら男は言った。嗅いだことのない煙の匂い。
「こいつに何を聞かされたかしらないが、こいつは真の協会メンバーじゃあない。あんたは危うくペテン師に騙されるところだった。間に合ってラッキーだったな」
「あ、ありがとう、でも、あなたは一体……」
5ヶ月後、私は一人カールスルーエの空港に降り立っていた。バッグの中にはペスト医師の衣装一式。私には成すべきことがある。その自覚とともに……。
(つづかない)