昨日は今日より死に遠かった

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昨日は今日より死に遠かった。今日生きているおれにとっては正しい。じゃあ、今日は明日より死に遠いのか。これはわからない。今日、今にでも死ぬかもしれないからだ。しかし、おれは図々しくも今日は死ぬつもりがないから、今日は明日よりも死に遠いのだろうと思ってしまう。5歳で死ぬ人間がいる、15歳で死ぬ人間がいる、25歳で死ぬ人間がいる、35歳で死ぬ人間がいる、55歳で死ぬ人間がいる、100歳で死ぬ人間がいる。逆算なんてことはできやしない。逆算に近いことはできるかもしれないが、はっきりしたことなんてわかりやしないのだ。昨日は今日より死に遠かった。過去形でしか語れない。明日は今日より死に近いのか。今日は明日より死に遠いのか。わかりやしないのだ。

24時間営業のコンビニ店がある。オーナー店長のようなものがいる。自分も店に出るが、24時間出続けるわけにはいかない。24時間のうち、どこかの時間を自分が雇ったアルバイトに任せなくてはならない。たいした話だ。夫婦でやっていて、昼と夜という体制らしい、というのはあるが、そうでなくては赤の他人に店を任せなくてはならない。心配にならないのだろうか。不安にならないのだろうか。他人なんてなにをしでかすかわかったものじゃない。人間、自分がなにをしでかすかわかったものじゃないからだ。

寒いと思って職場のエアコン設定を1℃上げてもらう。そうするとこんどは少し暑く感じる。自分の部屋にいる。さすがにエアコンを使わざるを得ないだろうとなって、スイッチを入れる。しばらくすると寒くなる。設定温度を上げる。そうするとこんどは少し暑く感じはじめる。せっかくエアコンをつけているのに、扇風機でいいんじゃないかと思うようになる。おれにちょうどいい温度というのはこの世に存在しないんじゃないかと思う。エアコンで冷えた体で表に出る。不自然に暑いと思う。だれかが人工的に用意したんじゃないかとすら思う。少なくともおれじゃない夏のせい。

昨日は今日より死に遠かった。昨日より今日は死にたくなっている。明日があれば、明日はもっと死にたくなっているだろう。おれはさらに毎日死にたくなっていく。逆算のきかない地点のことばかり考えている。不思議な地点。亀のようにゆっくり歩こうと、早足で歩こうと、全力疾走しようと、直進しようと回り道しようと立ち止まろうと、必ず終着点はそこになる。あらゆる人間がそこに行く。おれはこの世が怖ろしくてならない。おれはその地点のことも怖いと思っている。その地点のことは過去形では語れない、そのせいだろうか。