安楽とは程遠いところで惨めに死んでいく

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借金苦で自殺を考えている人に、「お金のために人が死ぬことはない」というような説教なり説得なりをフィクションでときおり見かける。しかし、実際のところ金のために人は死ぬものだろうと思う。金がなければ食うものが買えぬ。食うものがなければ人は飢えて死ぬ。死ぬじゃないか。「お金のために人が死ぬことはない」というのはいかにもそうあってほしいという感じを与える。ようするに綺麗事なのだろうと思う。金がなければ人は死ぬ。そして、その死には絶望と惨めさがべったりとはりついている。飢えて死ぬ前に自裁したとしても同じことだろうと思う。人間は金がなければ死ぬ。逆にいえば金があれば死ななくていい。しかし、その金を稼ぐために、ときに人間は絶望と惨めさにまみれなければならない。金のない人生は屈辱だ。人生は悲惨だ。この世の仕組みというものは、金を稼ぐに向かない人間をいかに惨めな境遇に追いやろうというかと、そのために駆動している。そのためだけに巨大なシステムが駆動している。抗うことはできそうにない。金を稼ぐ能力のない人間の人生は悲痛にまみれている。金を稼ぐ能力がなくとも金のある人間の人生は祝福されている。この世の仕組みというものはそのように成り立っていて、根本のところに問題がありそうなのに、おおよそ問題なく駆動していると見なされている。それはあまりに巨大で精密なために、抗うすべはないように思われる。金もなく、金を稼ぐ能力にも恵まれずに生まれてきた人間の人生は、過去も現在も未来も屈辱と悲痛にさらされていて、それが休まることはない。恐怖にまみれて、元からわけもわからないものがさらにわけもわからなくなって、安楽とは程遠いところで惨めに死んでいく。根本のところで間違いがあるように思えるが、あまりにも巨大で緻密、そして長く駆動しているために考え直すいとまもない。いろいろの弥縫策も糸の量が圧倒的に足りていないのでだれも救われない。「お金のために人が死ぬことはない」というのはいかにもセーフティネットが救ってくれそうな顔をした言葉だが現実とかけ離れている。金のために人は死ぬ。せめてその現実を子供たちは知る権利があるように思える。惨めな人間の末路を幼いころより教えこむ必要がある。あまりに巨大で細緻な駆動体がこの世界そのものであって、金のない人間は汚辱にまみれて這いつくばった末に惨めに死んでいくと知らしめる必要がある。そんなこと知らずに呑気に生きていたらそうなってしまうと知らせるべきだ。知らせたところで金のある人間と金を稼ぐ能力のある人間は栄光に包まれた一生を歩むだろうし、そうでない人間はそうでない人生を歩み、惨めに首を吊ることになるだろう。だからといって巨大な駆動体がこの世界を隅々まで覆い、死ぬ以外に逃げ場などないことを教えておくことは、せめてものフェアな行いではないだろうか。