この世はおれに生きることを望んでいないので

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おれが究極的にになにを求めているのかというと精神的な安寧だけである。楽になりたい。楽の境地にありたい。楽を追い求めたい。とはいえおれの日々というのは苦にまみれている。現世的な銭金に苦しみ、苦しみ、苦しんでいる。今もなければ未来もない。老後もなければ死後もない。明日の不安、一週間後の不安、一年後の不安。あらゆる不安が襲いかかってきて、おれに苦しめ、苦しめ、苦しめと言う。そしておれはあらゆる不安に苦しみ、苦しみ、苦しみ、いったいこれになんの意味があるのか、価値があるのか。脳みその具合までおかしくなって、28日間に200錠以上の各種処方薬を飲んで、それでも安らぎは得られず、目はくぼみ、ため息は絶えず、心臓は不規則に脈打ち、手の震えは止まらない。脳には薄い膜がかかり、立方体がおでこのあたりから頭にめり込んでいて、考えごともまとまらない。せわしなく動く。あるいは、まったく体を動かしたくない。金が無い、金が無い、金が無い。そしておれは金を稼ごうということについてほとんど無知であり、無関心である。自分が生きるために食わねばならない、食うためには働かなければならない。その働きに対しておれはほとんど忌避する心しか持たない。もうほかにこれ以上働くならば死んだ方がマシだ。そうだ、死だ。死ぬのは悪くないアイディアだ。おれが、それ以外に楽になる方法なんてあるだろうか。おれだってそんなに馬鹿じゃないつもりだし、いろいろ考えてみても、死ぬ以外にこの苦しみから安楽に飛び移る方法なんてありゃあしない。この世はおれに生きることを望んではいないし、おれはこの世で苦しむことを望んじゃいない。利害は一致している。この世はおれに生きることを望んでいない。目に映るあらゆるものがそういうメッセージを発してきて、おれの考えを肯定してくれる。今の不安も消え去り、将来の不安も消え去る。死は解決する。死に金はかからない。死んだあとに金がかかろうが、そのときおれはもうなんにも憂えることのないところにいて、そんなこと知った話じゃない。おれは楽になりたい、簡単になりたい、単純になりたい、頭を使いたくない、不安になりたくない、苦しみたくない。脳みその具合が悪いのも嫌だし、脳みその具合を治すためにぼんやりした頭を首の上にのっけてるのもうんざりする。金にさえ困らなければ、おれはひとりで安楽の中で適当な充実を得られる。贅沢はいわない。ただ食えるという安心感さえ得られれば、別に死ぬ必要があるとも思えない。できることなら死にたくはない。安酒で胃を洗浄して、脳にひととき造花、花開いて、眠くなったら寝てしまう。そうもいかなくなる日もやってくる。それは自分で決めることもできる。おれは怠惰で決断が嫌いだ。突発的な行動をとりがちだったが、薬を飲み始めて抑えられるようになった。けれど、おれは自分で決めることができる。おれは自分で決めなくてはならない。おれは自分で死ななくてはならない。おれは今日の不安とも、明日の不安とも、一週間後の不安とも、一ヶ月後の不安とも無縁でありたい。これ以上自分を否定するメッセージを目にしたくないし、この世にはまったくうんざりしている。おれはこの世を変えるなんてだいそれたことはできないし、おれが変わるよりほかにない。おれは自分で決めなくてはならない。