東京都美術館『バルテュス展』へ行く

 エロティシズムというにはあまりにも未熟な、しかも作者の周到な配慮によって、秘密のヴェールにかくされ、暗示するにとどめられた、あてどのない思春期の性の衝動のごときものが、バルテュスの奇妙な作品世界にはみちみちている。カーテンをひいた薄暗い部屋の中で、暖炉の前で、少女たちは本のページに目をこらしたり、鏡を眺めたり、トランプの一人占いに興じたり、ぼんやり物思いにふけったり、さてはヒステリーの発作のように、椅子の上で弓なりに身体を反らせたり、夢を見ながら(何の夢を見ているのだろうか?)無意識にスカートの裾をめくり上げたりしている。――こういう世界を突きつけられて、私たちは、ともすると見てはいけない禁断の世界をのぞき見たような印象をすら受ける。
澁澤龍彦バルテュス、危険な伝統主義者」

 女と、日本で客を呼べる海外の画家番付の話になった。ルノワールとかモネが横綱か? いや、ピカソゴッホがいる。シャガールは? セザールは? マックス・エルンストあたりは前頭何枚目とかか? ラファエロミケランジェロだっているぞ。ミュシャは日本人好みだ……じつに下らん。下らんが、上野駅の混雑にたじろいだせいでそうなった。バルテュスはどのくらい混むんだ? そんな話である。結果からいうと、番付以上(?)にはわりと混んでいた、といったところだった。子供連れもわりといた。安心です、バルテュス
 おれとバルテュス。名前は十五の頃から知っていたといっていい。もちろん、澁澤龍彦経由だ。デルヴォーだってなんだって。それでもって、もちろん、実物を見たことがない。いや、あるかもしれないが、まとめて見たことがない。それがあんた、やるってんだから行かなきゃってなるくらいには、おりゃあ澁澤信者というか、中二の心いまだ抜けずだよ。

 でも、結論からいうと(というか事前情報としてわかることだが)、《ギター・レッスン》も《山》も《部屋》も《サン・タンドレ商店通り》も来てないぜ。名物といえるのはやはり《夢見るテレーズ》か。
 《夢見るテレーズ》。作品の正面から相対すると、どうもピンとこない。ちょっと離れると、ちょっといい具合に感じる。しばらく進んで振り返ると、これがずいぶんいい。なんなら、部屋の角で半分隠れてしまうくらいでもいいかもしれない。やや危険なことを言えば、少女などじっくり見てしまえば粗が目立つ。テレーズは美少女だろうか? むしろ完璧といっていい脚の印象だけふっと頭のなかに残ればいい。それが少女の美しさじゃないのか! それを盗み見ることの愉楽。……ああ、やばいこと言ってないか? まあいい、おれはそう思うのだ。
 というわけで、おれが持って帰りたいと思ったのは《テレーズ》と、あとは《美しい日々》あたりの、まあ大名物といっていいあたりだろうか。そんなものだろう。
 とはいえ、いろいろと好ましいものはあった。画商を描いた《ピエール・マティスの肖像》、パンがチーズにしか見えなかった(横に白ワインもあるせいか?)《おやつの時間》……。風景画だと《冬の風景》がよかった。《樹のある大きな風景》の左下には後ろ向きの人物がいて、それは《サン・タンドレ》と同じ奴(=作者?)かと思ったり。《モンテカルヴェッロの風景II》というやつは、中国の技法を取り入れたらしいが、なにか見ていて遠近感のおかしさにくらくらした。あとは《目ざめI》という作品に「血管」とメモしてあるが(作品リストに借りた鉛筆でね)……なんだっけ? そうだ、《テレーズ》もそうだが、少女の身体の陰の色に青があって、透けて見える血管なのかと思ったりしたのだ。いや、べつにそうだからといっておれにそういう趣味(透けて見える血管フェチ?)があるわけじゃあないが。
 てなところか。てなところで、ああそうだ、猫について触れてないなとか、実兄が(半兄かもしれないけど)ピエール・クロソウスキーだったとか……まあ、いいかそんなことは。バルテュスだった。なんだろうか、なんといっていいのか。少女の話ばかりじゃあ言い足りないか。そうでもないか。あの奇妙な歪みはなんだろうか。自画像《猫たちの王》のような、あの歪み。『嵐が丘』の挿絵の……。まるで猫の伸びかのような、少女の肢体の、妙ななにか。なにか不安にさせるところがあるようで、そうでもないような。娘のために描いた『不思議の国のアリス』のデッサンとか、どこかユーモラスさもあって。当たり前の話だが、一個のスタイルがあって……あるのか?
 まあしかし、大名物以外のことは考えないようにしよう。それ一作に当日券1,600円。いや、しかし、1……1,200円くらいでどうですか? というのは失礼か。まあ、そんな感じで。あと、グッズだけど、『ミツ』(少年時代の猫をめぐる連作)頼りってのは日和ってねえか? 《テレーズ》のTシャツとか売りやがれ(買うかもしれないが着るとは言ってない)。おしまい。


↑とはいえ、バルテュス御用達だったという泥絵具を買ったりした。まったく役に立たないところがいい。それでいてこれはバルテュスの色の一部だろう。そこがいい。金もないせいもあるが、おれはどうも図録を買う気が起こらないのは、生で見た色の印象が、印刷物の方を見ると上書きされてもったいない気持ちになるから、というのもある。

おまけ:勝新太郎バルテュス動画。そういや展覧会に「Ichisan」宛のリトグラフがあったっけ。あと里見浩太朗からの贈物の和服とか。

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