- 作者: 吉本隆明
- 出版社/メーカー: 毎日新聞社
- 発売日: 2003/04/01
- メディア: 単行本
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おれと宇多田ヒカル、宇多田ヒカルとおれ。おれは厨二病的洋楽ファンだったので、日本のヒットチャート一位なんてものにまったく興味はなかった。だが、宇多田ヒカルは別だった。ファーストシングルの「Automatic」に衝撃を受け、アルバムを欠かさず買ってきた。いつか人間をやめた宇多田ヒカルが新しいアルバムを出せば、それも買うだろう。おれがそのとき生きていて、自分の好きな音楽を聴けるような環境にあればだが。
さて、最初の衝撃だった「Automatic」について吉本隆明はこう述べている。
これは、かなりいい歌詞だと思う。言葉に対する強い選択力を感じる。決定的といってもいい。
歌っている宇多田さんは、かなり客観的に自分を見ている。この歌のことをわかる、わからないはあなたの勝手という感じが伝わってくる。
……口語でできた、優れた歌詞で、純粋詩人の作品に近い。
……たとえば、冒頭の言葉に感心する。七回目のベルで電話の受話器を取るというのはいい。これは五回目でも、九回目でも、ニュアンスが違ってくる。七回目としたところに、優れた着想を感じる。七回目というだけで、この歌詞がとても繊細にできていることがわかる。
さようですか。いや、なるほど、というか。なんとなく説得力のある話である、七回目。そういうものか。うん、吉本御大がそう言っていたのならそうなのだろう。
流行曲を遡り、中島みゆきについてはこう述べている。
彼女の歌を特徴づけているのは、いつも自分の場所から歌っていることだ。その歌詞には口語的な自由詩と演歌調の定型が混ざり合っている。中島さんは伝統的な定型をひきずりながら、旅を続けるように詞を書いている。
そして、また、中島みゆきと対照的に都会的な松任谷由実について、「中央フリーウェイ」を引用してこう述べる。
松任谷さんの歌は、自分の個的な感覚を歌ったものではないように思う。客観的に都市の感性を眺めているような感じがする。自分の感じることも外から見ている。そのような、軽やかな自己相対化も、この都会的な歌手の魅力だろう。
さて、おれは中島みゆきもユーミンもしっかり聴いたことがないのでわからない。わからないが、そうと言われればそうという気もする。それよりも宇多田ヒカルについて「この歌のことをわかる、わからないはあなたの勝手という感じ」を指摘するあたりは鋭いなあという気がする。なんかこう、宇多田っぽいスタンスを言い当てているように思える。
と、宇多田ヒカルをはじめとしてミュージシャンの話ばかりしてみたが、本書は「現代日本の詩歌」だ。26人(以上)採り上げられている。その中でおれが読んだといえるのは宇多田ヒカルと田村隆一だけである。田村隆一については『荒地』の話になるし、『荒地』の「考える思想性」とやらの話になる。とはいえ、おれに興味があるのは田村さんだけだ。とはいえ、田村さんが『荒地』の代表だというのだからそういうことになる。戦争体験の捉え方。「一羽の鳥さえ/暗黒の巣にかえってゆくためには/われわれの苦い心を通らねばならない」(「幻を見る人」部分)、「われわれの苦い心」、死の影、これである。
はたしておれは昔から愛読している田村隆一の詩の中に戦争体験の影を見ていただろうか。なにせ時代も違う、とか言い訳もしたくなるが、やはり読めていないという感はある。ただ、その言葉に惹かれるばかりだったかもしれない。
田村隆一さんは言葉の選択力がとても強い詩人だった。私の体験から言うと、田村さんの詩の最初の一行はあてずっぽうではないか。とても任意性が強いと思う。
ところがその後、考えと表現を見事に深めていく。そして、必ず、終わりまで持っていく。任意の一行が次の行、その次の行へと進むにつれて、任意性が必然化するのだ。
田村さんはこれらをイメージでつなげるのではない。自分の持っている倫理性によって、言葉をつなげていく。
ふーん。そいでもって、漢詩っぽい技法を使ったのは、軟弱な叙情性を削るためだったのではないか、とか、田村さんの「私」は「私小説」の「私」ではなく、自然科学系の研究者が論文を書く時の「私」にたとえられる、とか。
でもって、晩年の方向性について。
日本の詩人は大抵、晩年になると七五調に回帰する。でも、田村さんにはそれはなかった。その代わりに、だんだんと任意な言葉が少なくなっていったのではないか。言葉を練りながら、行を重ねるうちに頂点にくるというやり方ではなくて、最初から必然的な書き出しで始めるようになった、。
そのために、漢文的な語調が、徐々に日本語的というか、口語的になり、わかりやすくなっていった。任意の言葉が少なくなり、詩人の力技があまり必要でなくなったために、易しくなり、軽みが出てきた。
ほう、日本の詩人は七五調に回帰していくのか。そうすると、たしかに田村さんにはそんなところまるでなかったな。
田村さんは我慢強い詩人だった。七五調に帰ることも、散文に溶けていくこともなく、生涯、言葉の強い選択性を保ち続けて詩を書き続けた。そして、深くて、わかりやすい詩の中に、詩の表現としての倫理性を保ち続けた。
日本の詩は田村隆一さんを得て、大きく領域を拡大したといってよい。
おお、すごいな。しかしなんだな、おれは晩年の「深くて、わかりやすい」あたりより、初期の力技が好きなんだな。これはおれの好みというものだろう。が、しかし、ひょっとして自分がいつか幸いにも(不幸にも)老いという境地に達したとき、晩年の田村さんのその言葉のチョイスに気づくかもしれない。今はそのときではない。
……という具合に、とりあえず知っているあたりについていくらかメモしてみた。その他、引用部分から気になった俳句や現代詩に触れていくこともあるかもしれない。横浜中央図書館にはすべてが揃っている。とはいえ、おれは田村さんを例外として、あんまり詩というを読むという行為が得意ではないのだよな。うん。あ、あと、採り上げられた詩人の経歴を見て、高学歴多いなーと思った。日本語ラップ者に高学歴が多いなーと思ったのと同じように、そう思った。どうでもいいか。おしまい。
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